「追われる側」に転換できた
日本の産業構造

――日本全体として輸出品の多様性と複雑性を維持しながらも、その製品は時代ごとに変化してきているのですね。

 第2次世界大戦後の工業化において、日本は「追いつけ、追い越せ」という姿勢で、欧米の先進技術や生産プロセスを取り入れ、改善して、世界第2位の経済大国へと発展していきました。その後、バブル経済とその崩壊という厳しい経済状況を経て、産業構造を転換していきました。

 この間、日本は欧米を追う立場から、韓国や中国などから追われる立場に移り、さらにテクノロジーリーダーに変わっていったのです。フォロワーからリーダーへのピボット(方向転換)に伴って、日本の輸出品も変化していきます。複雑かつ希少で、韓国や中国などアジアの企業の追随を許さない製品へとシフトしていったのです。

――「日本企業は技術革新を進め、アジアの企業の一歩先を行くように変わらないといけない」と多くの経済学者が論じてきましたが、そういう状態になったということですか。

日本経済の実像は、悲観バイアスで歪んだ

 そうです。失われた30年と言われる期間に、テクノロジーリーダーに変わっていたということです。転換を果たしていたのです。変化のスピードが遅い、と欧米の学者や投資家から言われてきたのですが、それも理由があることだと私は本書で分析しました。 

 もちろん、全ての日本企業がテクノロジーリーダーということではありません。日本企業の悪い面、昭和っぽいとかところにフォーカスすれば、いわゆる「JTC(Japan Traditional Company)」ということになるかもしれません。確かに、そのような JTC は多く存在しますが、それは一部に過ぎません。日本経済には別の面もあり、私はそこにフォーカスしたのです。

 すなわち、日本企業の先頭ランナーを研究しました。これにより、他の日本企業が進むべき道もわかってきました。

 *連載第2回「日本の大企業の技術競争力が結実した舞の海戦略」は明日公開です。