それらの法的根拠に基づくことによって「不正行為」が望ましいものとは言えないということを多くの人に納得してもらえると〈第三者〉は考えます。このように〈第三者〉は、自らがよって立つ法的根拠に基づいて「不正行為」が望ましくはないということをある種の「正しさ」でもって訴えかけるのです。

 しかし、それを訴えかけられた組織にとっては寝耳に水である場合も少なくありません。したがって、組織としても「正しさ」を証明するために、このような法的根拠でもって「不正行為」ではなく「不適切行為」であるということをきちんと説明していくわけです。

 かつ、「不正行為」として訴えかけられる場合には違法性をもつものとして〈第三者〉に判断されることも少なくないため、組織としては「これは違法性があるものではなく、別の法令に則した場合には合法的である」として「不適切行為」と表明するように思います。

 このように見ていくと、〈第三者〉は「正しさ」の下で「不正行為」を訴えかけていますし、組織としても「正しさ」の下で「不適切行為」であると表明しているように見えます。

 したがって、この場合にはどちらか一方が正しく、もう一方が間違っているのではなく、「正しさ」がせめぎ合うものとしても考えることができるように思います。

 組織不正が〈第三者〉の判断によるということは、場合によっては組織の「正しさ」が認められないことも起こりうるということを意味しています。

 組織が法的根拠をもって活動し、それがおおやけに認められるような場合であっても〈第三者〉が別の「正しさ」で対抗しようとした場合に、それが組織不正として考えられてしまうケースもありうるかと思います。このような事態を考えるために、ここでは郷原信郎先生(編集部注/弁護士、元東京高検検事)の近著である『“歪んだ法”に壊される日本:事件・事故の裏側にある「闇」』(2023年)を取り上げたいと思います。

第三者の結論ありきの糾弾に
組織はどう準備・対処すべきか

 郷原先生は、わが国における刑事事件は、大きく2つに分類できるとしています。

 1つは、実際に被害が「発生」している事件で、このような事件は明確に被害を確認することができるため、捜査もしやすく、犯人も見つけやすいと考えられています。このような被害が「発生」する事件は「発生型事件」と呼べるものです。