なぜ父は息子や娘に手紙を書くのか?──「父から息子へ送る手紙」形式の自己啓発本は、立派な1つの文学ジャンルである。ところが、母親から娘や息子へしたためた「手紙系自己啓発本」は少ない。それはなぜなのか?本稿は、尾崎俊介『アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです。
「上から目線」なのが自己啓発本
「下から目線」は成立しない
自己啓発本というのは、大雑把に言えば「人生をより良く生きるためのアドバイスを記した本」ということになるわけだが、本の性質がそういうものであるとすると、それが基本的に「上から目線」の本となることは必定である。若造が年長者に人生を説くことはできないのだから、「下から目線」の自己啓発本というのは、理論上、存在しない。
「上から目線の本」ということになると、今度はその目線の持ち主は誰かということが問題になってくる。
功成り名遂げた人が上から目線でアドバイスするなら、まあ、いいのである。たとえば、天下のナショナル(現パナソニック)を一代で築き上げた松下幸之助なら、何を言っても許される。我が国を代表する自己啓発本の1つである『道をひらく』(編集部注/松下幸之助が立身出世の秘訣を披露している大ベストセラー)の中で、松下翁が何を言おうが、それは全部立派な金言として受け入れられる。
では、さして功成り名遂げていない人はどうなのか?そういう人にはアドバイスを垂れる権利はないのか?
いや、あるのだ。どんな人であれ、自分の息子に対してはアドバイスを垂れることができる。そもそも息子というのは、そのために存在するのだから。
ということで、自己啓発本の世界にも「父親から息子へ伝える処世術」という体裁を取ったものが結構ある。そしてそのアドバイスは、手紙を通じてなされることが多い。ゆえに、「父から息子へ送る手紙」形式の自己啓発本は、自己啓発本という文学ジャンルの下位区分として、立派に1つのジャンルを構成しているのである。
ビジネスマンの父が息子に書いた
30通の手紙がそのまま1冊に
たとえばキングスレイ・ウォード(George Kingsley Ward,1932-2014)が書いた『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(Letters of a Businessman to His Son,1985)という本もその一例。日本でも小説家の城山三郎が翻訳してベストセラーになったので、覚えておられる方も多いのではないだろうか。
著者のキングスレイ・ウォードという人はカナダの実業家で、某企業の創業者社長なのだが、心臓を病み、先行きが長くないことを悟る。そこで2代目社長になるはずの息子に宛てて次期社長としての心得を伝授すべく、30通の手紙を書いた。
その手紙をそのまま本にしたのがこの本ということになるわけだが、経済小説を数多くものした城山三郎氏としては、「社長の帝王学」という辺りに大いに興味があって、それでこの本の翻訳を引き受けたのであろう。