「国会の爆弾発言男」の
カバンはどこに消えたのか

 安倍さんの最期は突然だったが、私の「恩師」も急に世を去った。民主党の衆議院議員だった石井紘基さん。石井さんは2002年10月25日、自宅前で刺殺された。

 石井さんと知り合ったのは1989年、当時20代の私は、石井さんの著書を読んで感動して手紙を書いた。

 すると、ご本人から「会いたい」という返事が来てお目にかかり、初出馬だった石井さんを秘書として応援することになった。

 仕事を辞めて石井さんのご自宅の近くに引っ越し、毎朝5時半に起きて、彼がマイクを握り、私がビラを配るという日々。1年ぐらい、雨の日も風の日も街頭に立ち続ける毎日だったが、結局、当選させることはできなかった。

 その後も、私は応援を続けるつもりやったけど、石井さんからは「君はまず弁護士になれ」と言われた。「地元に帰って弁護士として人助けをして、みんなに請われるようになってから政治家になりなさい。40歳ぐらいでも遅くない」と。

 そこで、私は弁護士資格を取り、明石で活動していた39歳のときに、石井さんの刺殺事件が起こった。その翌年、私は石井さんの言葉通り、40歳で衆議院議員となり、石井さんの仕事も引き継いだ。

 石井さんは、「国会の爆弾発言男」と呼ばれ、不正を許さず、どんな強い相手にも向かっていくタイプやった。暗殺の実行犯として右翼団体代表を名乗る男が逮捕されたが、事件の真相は今も闇の中。

 謎に迫る手がかりとして、石井さんが持っていた鞄が持ち去られたことがわかっている。石井さんは数日後に国会質問を控えていて、鞄にはその“爆弾発言”のための資料が入っていた。犯人は石井さんの命よりも、その資料が欲しかったに違いない。