日本の憲政史上最も長く首相を務めた故・安倍晋三氏と、不正追求に尽力し「国会の爆弾発言男」と呼ばれた故・石井紘基氏。第二次安倍政権と同時期に明石市長を務め、石井氏を恩師と仰ぐ泉 房穂は、両雄の政治家としての生き様を見つめてきた。泉の目に映る彼らの共通点と、胸に刻んだある言葉とはーー。本稿は、泉 房穂『政権交代、始まる 炎上上等!タブーなき政治の真実』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
政治的スタンスは違えど
安倍晋三は大きな存在だった
安倍晋三元総理(享年67)が銃弾に斃れてから2年。私の中には、なお深い喪失感がある。
私が衆議院議員に当選した2003年、安倍さんは自民党幹事長やった。エレベーターで一緒になったりしたときに挨拶はしたことがあり、当時50歳手前だった安倍さんは、間近で見ると独特の存在感というか、オーラがあったね。
その後、私は2011年に明石市長になって12年間務め、一方の第2次安倍政権も2012年から8年間続いたので、安倍さんと同じ時代を共有した感覚がある。歴代総理に比べて安倍さんは、地方分権と子ども政策にも力を入れた印象が強い。
安倍政権時代に地方自治法の改正があった。私はもともと、市長選の公約に「中核市への移行」を掲げていたが、そのころの法律では「人口30万人以上」が中核市の条件で、当時30万人足らずの明石市は中核市になれなかった。それが地方自治法の改正で、中核市に移行することができた。トップの安倍さんの判断のおかげや。
子ども政策で特筆すべきは、2019年10月から始まった「幼・保(幼児教育・保育)の無償化」。これも、安倍さんが子供を重要なテーマと位置づけて、政策転換を図ったことで実現したと思っている。
私と安倍さんの政治的スタンスはだいぶ異なるが、それでも安倍さんは、歴史を作り、そして自ら歴史になった方。安倍さんには政治家として「やりたいこと」があったんやと思う。最近の政治家は、岸田総理にしても、やりたいことがあるのかないのかようわからん。その中で安倍さんは異色。
安倍さんという政治家を語るには、ご自身の生い立ちも欠かせない。歴史的な人物である岸信介元総理を祖父に持ち、だからこそ自ら政治家になったら、“おじいちゃん”が果たせなかった夢をかなえようとしたのかもしれん。
憲法改正を追求し続け、外交・防衛問題にも強い思い入れがあった。それらの分野では、私と考えが一致しないところも多いが、安倍さんはきわめてクリアに使命感を持っておられた。