伊藤博文、犬養毅…要人銃撃が連鎖した時代と現代との「意外な類似点」犬養毅首相(当時)が殺害された「五・一五事件」を伝える朝日新聞の紙面

参院選の選挙期間終盤、7月8日に安倍晋三元首相が銃撃され、命を落とした。21世紀の日本でこんなことが起こるとは、にわかに信じがたい事件だ。しかしながら、近代史を振り返れば、要人銃撃や首相暗殺などのテロは枚挙にいとまがない。およそ1世紀前の日本と世界の状況を振り返ると、意外な類似点もある。原敬や浜口雄幸、犬養毅まで要人襲撃・暗殺の連鎖を見ていけば、時代の大きな転換点が浮かび上がる。(ジャーナリスト 桑畑正十郎)

初代内閣総理大臣に始まる
悲劇の歴史

 安倍晋三元首相が山口県(長州)出身であることは、歴史の巡り合わせであろうか――。

 悲劇の歴史をさかのぼると、長州出身の初代内閣総理大臣・伊藤博文の銃撃事件に行き当たる。首相を退任後に韓国統監府の初代統監となっていた伊藤は、1909(明治42)年10月、ロシア首脳と満州・朝鮮問題についての会談に臨むため中国黒竜江省ハルビン駅に到着した。その駅構内で、韓国独立運動家であった安重根(アン・ジュングン)に背後から銃撃された。伊藤の享年は68だった。

 当時、韓国は日本の保護国となっており、これを統治する統監が伊藤博文だったため、独立運動家らが目の敵にしていた。事件後逮捕され処刑された安重根は、韓国独立を守ろうとしたヒーロー・義士として扱われ、現代になっても「反日のシンボル」として称揚されることがある。

 しかし、皮肉なことに伊藤自身は日韓併合には消極的であり、伊藤の死によって、後を継いだ寺内正毅統監と李完用(イ・ワンヨン)首相によって「韓国併合ニ関スル条約」が締結された。韓国独立を願った暗殺が、かえって日韓併合を進めたとの見方もできる。

 安倍元首相を伊藤博文になぞらえるつもりは毛頭ないが、山口・長州と朝鮮半島との距離感、そのあざなえる奇縁というものを感じる。政治的なテロが暗殺という目的を果たしたにもかかわらず、結果として「独立」という最大の命題を守れなかったことも指摘しておきたい。むろん、今回の銃撃事件の動機はまったく別次元であろうから、いわゆる言論封殺というのとも違っているが、短絡的な凶行では何も解決できないことは共通している。

 ところが、1920年代以降、日本国内では要人襲撃の連鎖が起こってしまう。