組織の病気Photo:PIXTA

偉そうにすることには
メリットがある

 世の中には、偉そうにしている嫌な奴がいる。ちょっとお金持ちだったり、肩書が立派だったりすることをいいことに威張っている。

「ああいう人になってはいけませんよ」と反面教師にするのが、教科書的な対応なのだが、実際のところ、お金持ちになったり、肩書が立派になったりすると、多くの人は威張ってしまう。なぜだろう。もとは良い人だったのに……。

 それにはシンプルな理由がある。偉そうにするメリットがあるからだ。

 権力のダイナミクスに関する研究では、権力を持つ人が他人をどのように従わせるかが議論されている。権力を持つ人は、自信に満ちた態度や強力なコミュニケーションスタイルを通じて他人に影響を与えやすいことが示されている。

 つまり、リーダーが自信満々で強気な態度を取れば、他人がその指示に従う傾向が強まるということだ。カリスマ的リーダーシップの研究においても、強い個性やカリスマ性を持つリーダーは、他人に影響を与え、従わせる力を持つことが明らかになっている。カリスマ的リーダーはしばしば偉そうな態度を取ることがあるが、その態度が醸し出す(見かけ上の)カリスマ性が、他人に受け入れられる要因となるのだ。

 要するに、偉そうすることには意味がある。誰が見てもすごい実績があり、見識が深く、言動に重みのあるホンモノは威張る必要などないのだが、ちょっと立派なくらいの人であれば、謙虚にしているより、多少偉そうにしていたほうが、皆が言うことを聞く。

 そうしてリーダーに人が従えば、組織としての行動にも統一性が生まれ、短期的には成果も上がりやすい。そしてその行為を続けている間に、その態度がいずれは習慣となり、偉そうにふるまうことが体に染み付いてしまうのである。

 残念なことに、接触の頻度が少なければ、相手が本当に立派な人かどうかなど他人には分からない。パッと見た目で判断し、偉そうにしている人には従う。一方、普通にしている人はその他大勢なので従わない。悲しいかな、これが現実である。

 多少偉そうにしているほうが合理的だから偉そうにしている、と自覚しているのであればよいのだが、問題は、そんな人はまずいないということだ。普通の人は、自分は能力が高く立派だから他人から敬われているのだと勝手に誤解し始め、最終的には、本当に傲慢な人になってしまう。