しかし、一人のムスリムが「コーランは神の言葉にあらず」という結論に達するまでには、われわれが想像する以上の時間と葛藤、そして勇気が必要なのだ。彼の表情はそのことを物語っていた。

 タハ君は、今ではもうコーランを開くことはないし、礼拝や断食をすることもない。週末の彼のルーティンは、私のような友人を招いてワインやビールを飲み交わすことだ。

「宗教がなくても、僕たち一人ひとりが人間性を身につけて、清く正しく生きる努力を続けていけば、世の中はきっとよくなる。宗教側は、それじゃカネにならないから、絶対にそんなこと言わないけどね(笑)」

 そう語るタハ君に、私はもう一つ気になっていた質問をぶつけてみる。それは、彼が神の存在を今も信じているかどうか、ということだ。彼は言う。

「もし神がいるとしたら、それは人間の心のなかにいるんじゃないかな。理性と感情の総体というか…。良心と言いかえてもいいかもしれない。いずれにしても、遠い宇宙の彼方から、僕たちにあれこれ命令してくるアッラーなんて神は存在しないよ」

「同棲し、男性が女性に尽くす」イスラムの価値観とは逆の生活

 そんなタハ君が、自宅のマンションで愛する彼女との同棲生活を始めて、もう10年になる。その暮らしを間近に見てきた私には、二人の関係が長続きする理由がよく分かる。

 タハ君の優しさや気遣いもさることながら、いちばんの理由はズバリ、彼が料理以外の家事をすべてこなしていることだろう。同棲というライフスタイルも、女性のために尽くす男性像も、イスラムの価値観とは相容れない。むしろタハ君たちの生き方は、日本や欧米の若いカップルのそれと重なる。

 イスラムを棄て、大切なパートナーを得たタハ君。新しい価値観のもとで営まれる二人の暮らしは、これからも試行錯誤を重ねながら続いてゆくに違いない。