公共空間の優先席に誰が座ろうが
ジョージアでは話題にすらならない

 ですから私が誰もいない優先席に座ったことへの批判や注意に対し、こちらからも「譲り合いの精神があれば、誰にも迷惑をかけないときに優先席に座るのは問題ないのではないか、ルールばかりを重視して譲り合いの精神がない社会となる方が問題ではないか」と持論を展開しました。

「暗黙のルール」を過剰に増やし、また、他者に強制することは、日本社会にとって望ましくないのではないかと伝えたかったのです。するとさらに2500万インプレッションほどの反響があり、ますます議論が激しくなっていきました。

 ほとんどの人は私を擁護してくれましたが、1割ほどの人は「優先席を必要としていても、見た目ではわからない人がいる。その人のためを思って空けておくのが本来の姿だ」「自分で『空けてください』と言えない人もいるから座ってはいけない」と主張します。

 この反応の大きさは、日本のみなさんも同調圧力を潜在的なプレッシャーに感じていたことの表れではないでしょうか。日本には法律のほかに、車内の注意書きなどのマナー、加えて守るべきとされている不文律が無数に存在しています。その存在をあぶり出すような形で、みなさんがふだん思っても言えないことを私が代弁するような形になったからこそ、大きな反響があったのだと思います。

 この件について、日本のテレビ局や新聞社からの出演・取材オファーも相次ぎました。ジョージアではこんなことは話題にすらなりえません。ゴシップや政治家のスキャンダルについて、国民がSNSやマスメディアで議論を交わすことは当然ありますが、公共空間における優先席に関してこんなに熱い議論が起こるなど、想像すらできません。ある意味では日本が平和な証であるとも思いましたし、日本人のルールに対するこだわりが顕著に表れたエピソードであるとも感じます。

 日本は明文化された規則が細かく、さらに場所によっても異なります。たとえば公園ひとつとっても、そこでボール遊びをしていいのか、ペットの散歩はいいのか、花火はしていいのか、夜間の立ち入りはよいのか……等々がケースごとに違います。ですからその場所ごとに看板を見てルールを確認しなければいけません。