古くからのしきたりがなぜ必要なのかを
わかってしまうと単純にNOと言い切れない

 私の子供たちを通わせている公立の保育園に関しても、同じことを感じます。

 やはりものすごくルールに細かく、子供をお迎えに行くと先生がリストを揚げて「これはこうしてください」「明日はこれを持ってきてください」「くつしたはこう」「おふとんはこう」と無数の指示が飛んできます。これには勘弁してほしいと何度も思いました。

 でも、その細やかさはカリキュラム設計にも反映されていて、我々にメリットも与えてくれます。保育園の先生方はただ子供の面倒を見るだけでも目が回るほど大変なはずなのに、日々新しいアクティビティを考え、子供たちがクリエイティブな作品を作る機会を用意してくれます。まだそんなに何かをうまく表現できるはずがない年齢の子供たちでもそれぞれに個性を表現でき、達成感を得られるような工夫をしてくれます。

 その丁寧さは、一方では保護者にとっては困り果てるほど面倒くさく、他方では保育士のみなさんが親身になって子供の成長を考えてくれるあたたかさに結実していると言えます。ですから、保育園がしてくれていることを思うと、「これだけしてくれるのだから、こちらもがんばらないといけないのかな」と感じるようになりました。もちろん、もう少し日々のオペレーションを簡素化し、ルールも柔軟に運用してもらいたいという気持ちも依然としてあります。

「ガラガラの優先席」に座ったらSNSで賛否両論…ジョージア大使が本当に伝えたかったこと『日本再発見』(ティムラズ・レジャバ、講談社)

 私が一番困っていることは、日本のいきすぎた暗黙のルールやしきたりに苦慮し、それが自然ではないからやめた方がいいと思うことがある傍ら、それがどうして必要なのかも同時にわかってしまう点です。それによって、さまざまな古くからのしきたりに、NOと言えないでいる――つまり了承しているのです。

 しかし、話を戻しますが、空いている電車の中で誰も座っていない優先席に座った人がプレッシャーを受けるような状況は、ほとんどハラスメントだと思います。このようないきすぎたルールは、明文化されているものにしろ暗黙の了解にしろ、見直すべきです。

 ジョージアに観光やビジネスで訪れたり、移住してきたりした日本人から「これまで日本で感じていた、目に見えなかったプレッシャーから解き放たれた」という話をよく聞きます。ジョージアは役所での法人登記や銀行での口座開設なども日本と比べてはるかにシンプルかつスピーディに行うことができます。日々の暮らしで求められるルールも簡素です。