「あいつ、終わったな」永田町の政治記者が稼ぎを捨てて「専業主夫」「バリキャリ妻の夫」を選んだ理由写真はイメージです Photo:PIXTA

永田町で働く政治記者が、妻の米国転勤により人生が一変――待っていたのは、プライドを捨て、現地で「海外駐在員の夫」であり続けるという葛藤の日々だった。帰国が決まるも退職を決断。自身と同じ「配偶者の海外赴任に同行した男性」、すなわち「駐夫」たちのキャリア意識はどう変化したのか?その調査研究に邁進することとなる。本稿は、小西一禎『妻に稼がれる夫のジレンマ――共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

妻がアメリカに転勤になったため
渡米して「駐夫」になる道を選択

「あいつ、終わったな」「気でも狂ったんじゃないか」「俺には理解できないよなぁ」「いなくなるのは痛いが、子どもはまだ小さいしな。おまえも、子どもが遠くに離れて、生活が荒廃するよりは、一緒に行くのがよいと思う。制度があるんだから堂々と使え。そして何よりもカッコいいぞ。後輩のためにもなる」「小西さんらしい決断ですね。応援しますよ」「いい経験になるぞ。よい決断をしたと思う」「ステキです」

 2017年末、米国転勤となった妻に同行するため、所属する会社では男性で初めてとなる「配偶者海外赴任同行休職制度」を取得し、仕事を休職した。2児を連れて渡米し、現地で主夫=駐夫(海外駐在員の夫)となることを上司に伝え、それが会社の同僚らに知れ渡った後、周囲の人々から私が直接言われたり、あるいは「風の便り」として、間接的に聞いたりした声だ。

 こうして字にしてみると、半ば批判めいた見方がある一方、激励と受け止められる声も交錯していることが分かる。当時は、逡巡した末ではあったが、一度決断した以上、気持ちは前を向いていたため、周りの意見はあまり気にしていなかった。いや、実は、後押しする声ばかりを心の励みとしており、ネガティブな意見は耳に入れようとしていなかったのかもしれない。

 私は1996年に、大手全国メディアに入社した。9年間の地方勤務を経て、2005年春、念願の本社政治部に配属された。以後、朝から深夜まで日本政治の最前線に立ち続け、2度の政権交代をはじめ、幾多の政治ドラマを目にしてきた。永田町で政治記者として働き続けること、実に13年間。その間、結婚し2人の子宝にも恵まれた。すべてが順調だった。

「男は仕事」「女は家事・育児」
という固定観念に囚われていた

 築き上げてきたキャリアを一時的とはいえ中断せざるを得ないことに、まったくためらいがなかったと言えば、嘘になる。午前中は何も決まっていなかったことについて、午後から夕方にかけて一気に物事が動き出し、その日のうちに結論が打ち出されるようなスピード感に溢れているのが政治の醍醐味だ。その取材現場から数年間離れるのは、怖かったというのが正直なところだった。