同期からもどんどん取り残されていくのは必至だ。帰国後に復帰しても、自分のポジションは果たして用意されているのか。その後のキャリア形成は大いに不安だった。それに、休職ゆえ、欠員補充はされない。激務を続ける同僚の負担は増し、迷惑をかけることにもなる。

 何よりも、日本の中心でもある永田町で仕事漬けだった自分が、妙なプライドを捨て去り、主夫=駐夫なんかになれるものなのか。妻のキャリアを優先し、自らのキャリアをセーブする。どういう毎日になるのだろう。しかも、初めての海外生活だ。

 一度は、心の中で自分なりに折り合いを付けたはずだった。それでも、憧れの国・米国で始まる新生活が楽しみな反面、数え切れないほどの不安にさいなまれながら、ニューヨーク行きの航空機に乗り込んだのを思い出す。

 私が、こうした不安に駆られたのは、「男は仕事、女は仕事と家事・育児」とする硬直的かつ固定的な性別役割を巡る観念に、完全に囚われていたためだと思う。

 いわゆる「日本的雇用慣行」の世界には、「男は仕事」という価値観が今も跋扈している。男性が、組織に属したまま給付金も支給される育休とはまったく異なり、数年単位で日本を離れてキャリアを中断し、収入が絶たれることは、日本的雇用慣行との親和性に欠ける。日本以外で生活した経験がなかった私にとっても、受け入れがたいことだった。

「男は仕事」という価値観に支配された社会では、社会的地位の獲得や成功を目指す競争から離脱し、稼ぎ手の役割を果たさない男性は「男から降りた者」とみなされる。数年にわたるキャリアの中断は、まさしく稼ぐ力=稼得能力を喪失することを意味する。

永田町の政治記者は常に
「マッチョ」であるべし

 メインの稼ぎ手として、家族を扶養していた身から、子どもと共に配偶者に扶養される立場になる。長年働いてきた自分に対する自信の喪失であり、新卒以来、日々の仕事に向き合い続けた結果、経歴や経験を積み重ねてきたというキャリア意識の喪失でもある。

 渡米前の時点でも、これらについて頭では理解していたつもりだった。