ただ、実際にその立場に置かれてみると、当たり前のように働いていた自分から、働いていない身に転じた自分が何者なのかが分からなくなってきた。肩書は「共同通信の小西さん」から「〇〇ちゃんのパパ」に変化した。いわゆる「アイデンティティー・クライシス」、若者に多くみられる自己同一性の喪失が、中年に差し掛かった45歳にも訪れたのだった。

 そして、妻は念願の海外勤務を叶え、バリバリ働く一方、周囲から「妻よりも下に見られているのではないか」との猜疑心のような感情も時折、脳内をよぎるようにもなった。在米中、幾度も苦しい瞬間に襲われた。

 ジェンダー平等の考え方が少しずつ浸透し始めていたとはいえ、男性優位社会が続く日本で暮らし、働いていた私にとって、キャリア中断がもたらすアイデンティティーの喪失は、ごく自然の流れだったと思う。

 長時間労働の激務に追われ、心身ともにタフさが求められる永田町の政治記者には、常に「マッチョ」であることが求められていた(と自覚している)。帰宅は深夜。週末も仕事や出張が重なり、基本的に家事や育児は時短勤務の妻に任せてきた。主たる稼ぎ手として、長時間労働と引き換えに「家のこと」を免除されるのを当然視していた。

 私が国外でキャリアを中断する間、海外駐在員となった妻は対照的に着々とキャリアを重ね、帰国後は駐在経験を生かして「出世」することになる。日本で働いていた当時は、業界も職種もまったく異なる上、私のほうが年収は上回っており、妻をライバルと感じたことは皆無だった。ところが、渡米後は、次第に焦りや不満の度合いをエスカレートさせていた。恥ずかしい話ではあるが、酔った勢いで、八つ当たりをしたような記憶もうっすらだが残っている。

帰国とともに退社を決断し
セカンドキャリアに向かう

 米国在住中は、会社支給のパソコンをほぼ毎日開き、メールを欠かさずチェックしていた。妻の帰国時期がいつになるか見通せなかったものの、帰国となれば復職し、再び働くつもりだったためだ。

 3年3カ月の米国生活を終え、日本に帰国したのは2021年春のことだった。その4カ月ほど前に、帰国することが本決まりになった際、次のキャリアとして考えたのは、大学院への入学だった。