情報が増えると
人の意見は過激になる

「この新しいメディア時代には、誤った情報を絶えず量産するメカニズムやネットワークが存在している」と、オバマは2010年に述べている。これは、大統領選挙から2年経ってもアメリカ人の20%(なんと5人に1人!)が大統領のアメリカ国籍を疑っていたことに対する彼なりの返答だった。オバマは「メカニズム」や「ネットワーク」という言葉を用いて、テクノロジーが誤った情報の広がりを助長する事実に目を向けさせたかったのだろう。

 今日の社会において、ある意見の信憑性を失わせる「データ」や「証拠」を見つけること──同時に自分の意見を裏づける情報を見つけること──は、かつてないほどたやすくなっている。

 たとえば、いちごは身体に良くない(皮が薄く農薬が残りやすい)、コーヒーにバターを入れて飲むと健康に良いといった内容の記事は、瞬時に手に入る。後者は一世を風靡した「完全無欠コーヒー」である。どうやらこのコーヒーを飲めば、「認知機能が劇的に高まり」、「活力が6時間も維持され……体脂肪を1日中燃焼させるよう身体にプログラミングすることができる」らしい。

 しかし次の瞬間、あなたは「実はいちごは栄養たっぷりで身体に良い」、「コーヒーにバターを入れるのは馬鹿げた考えだ」という記事を同じ数だけ見つけられるだろう。飽和脂肪酸自体は身体に悪いものではないが、それを大量摂取するように人類は進化していない。その結果、完全無欠コーヒーの常飲により、コレステロール値が著しく上昇したという報告も見られるそうだ。

 矛盾しているようだが、豊富な情報が得られるようになると、人は自分の意見にもっと固執するようになる。なぜなら、自分の考えを裏づけるデータを簡単に見つけ出せるからだ。これはたとえば、自分の属する人種が他の人種よりも遺伝的に優れているといったような極端なものの見方にも当てはまる。私たちは自分の見解を支持するブログや記事は注意深く読むが、別の考え方を示すリンクはクリックしようともしない。