SNSにハマればハマるほど「自分は正しくて優秀」と思い込む理由、過信を抜け出す「スマホの設定」とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

情報が増えすぎると、かえって人は自分の意見に固執するようになる。あなたが自信満々に語る“偏った意見”の正体とは?なぜ人は「私の正しさ」を疑えないのか?「情報過多のリスク」と「健全な情報収集」を神経科学者が説く。※本稿は、ターリ・シャーロット著、上原直子訳『事実はなぜ人の意見を変えられないのか 説得力と影響力の科学』(白揚社)の一部を抜粋・編集したものです。

オバマ元大統領の出生地、
事実は1つなのに、なぜ論争に?

 誰もが同意するたった1つの真実など存在しない。

 1789年にベンジャミン・フランクリンがジャン=バティスト・ルロワに宛てた手紙の中に有名な一節がある。「この世に確実なものは何もない。死と税金を除いては」。この言葉は、フランクリンがイギリスの小説家ダニエル・デフォーから借用したもので、デフォーは1726年の著書『悪魔の策略の歴史(The Political History of the Devil)』の中で、「死と税金ほど確実で信用できるものはない」と述べている。

「死と税金」の表現は広く用いられているが、どちらも実際には誰もが認める真実とは言い難い。冷凍保存や科学技術で死を免れると信じる人もいるかもしれないし、最期の時は必ず訪れるとわかっていても、死後に何が待ち受けているかについては様々な見方がある。また、脱税者や反対論者など、税金の必要性に異論を唱える人もいる。死と税金の確実さすら同意を得られないのだから、他のたくさんの「真実」に関して意見が割れることは容易に想像がつくだろう。

 アメリカよりもフランスが住むのに適しているかどうかは、考え方の相違だ。死刑が倫理的に正しいのかどうかも、主観的な問題だ。

 それでは、そこに「決定的な事実」が含まれている場合はどうなるだろう。

 たとえば、「バラク・オバマはどこで生まれたのか」という疑問について考えてみよう。オバマの出世地をめぐる論争は、彼の国籍を疑問視するチェーンメールがばらまかれた2008年に始まった。もしもアメリカ生まれでなければ、オバマは大統領の資格をもたないことになる。次いでこうした主張を裏づける証拠と言われるものが、インターネット上に書き込まれるようになった。

 これが大論争に発展したため、ついにオバマはその疑問に直接対応し、出生証明書の公開に踏み切った。しかし合衆国大統領が提示した正当な証明書も、人々の考えを変えるのに十分ではなかった。調査によると、無視できない割合のアメリカ人が、それでもなおバラク・オバマには大統領の資格がないと信じていたことがわかる。