日本のパンク・ロックがこうなった理由を、世相以外に挙げるとしたら、ひとえにそれはザ・ブルーハーツのせいだった。パンク・ロックが、まるで日本の小劇団か日本の学校の文化祭みたいな「自己参加型」の発表会的なものへと大きく変質していった契機は「インディーズ」ブームからだったのだが、少なくとも途中からは、まぎれもなく「ブルーハーツの成功を模倣しようとした」という内容の、一大ブームへと変質したからだ。もちろん模倣者のうちに成功例はほとんどなかったし、あったとしても、ブルーハーツとは比ぶべくもなかったのだが。

世界的に見ても稀だった
ブルーハーツの成功

 85年に結成、87年にメジャー・デビューしたブルーハーツは、ヒット・シングルをいくつも出した。この成功の大きさは、90年代以降のアメリカにおけるグリーン・デイやオフスプリングらのブレイクを「先取りした」とすら言えるものだった、かもしれない。

 80年代の後半当時、ここまで巨大なポピュラリティを獲得し得たパンク・ロック発祥のポップ・ソングは、世界的に見てもきわめて稀な存在だった。