三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第9回は、「劣等感との付き合い方」を考える。
中学受験で劣等感に苦しんだ
東大合格者は多い
東大合格を目指す決心がついた天野晃一郎。しかし、中学受験や高校受験での失敗が頭をよぎり、その決心に迷いが出始める。さらに、自分よりはるかに優秀な弟・裕太の存在も、晃一郎の劣等感をかき立てるのだった。
私は一人っ子なので兄弟間の劣等感・優越感は実感したことがないのだが、劣等感というものは常に受験にまとわりつく。それはしばしば勉強を妨げ、時には致命的な過ちを引き起こす。
東大に何十人もの合格者を出す最難関校の生徒の多くは、その劣等感を中学受験の際に経験する。地元の小学校の神童たちが集う教室の中でトップを獲得するのは容易なことではない。大手の中学受験塾では、成績に応じて教室や席順が決まり、毎週の小テストで席を交代させることで競争心を煽る。
彼・彼女らはその段階から「自分の立ち位置」をおぼろげながら理解する。こういった最難関校の生徒で、「中学校に入った瞬間、学力で勝負するのは無理だと悟った」と語る人は同級生にも多い。
一方で、中堅校の場合はどうだろうか。中堅校のトップ層もまた、地元の小学校でトップ層だった人たちが多い。そのため、中学受験を終えたとしても「トップしか経験したことがない」人がいる。しかし、東大受験という土俵で平均的に考えると、中堅校のトップ層は最難関校の中間やや上くらいが妥当だろう。
当然、中堅校にも這い上がってきた生徒はいる。中1から高3までの定期テストや外部模試で、全て最上位の成績を維持できる人はむしろ少数派だろう。この意味で、中高6年間の間に挫折を経験し、それを克服した人もいる。
学年トップクラスなのにまさかのE判定……
中堅校出身の私が東大合格のために「捨てたもの」
私が最も恐ろしいと思っているのが、「中堅校のトップ層に食い込み続ける実力」はあるが「東京大学に合格する実力」にはかろうじて達していないパターンだ。何を隠そう私自身もこの部類に属していた。
井の中の蛙であった私が最初に身の程を知ったのが、本番1年前に同じ日程で行われる東大同日模試だ。何もわからなかった真っ白な答案はもちろん、自信を持って答えた真っ黒の答案にすら、容赦無くつけられた真っ赤な0の文字は、今でも脳裏に焼きついている。いうまでもなく、合格可能性はE判定だった。
人生で初めてかもしれない、こんなに劣等感を感じたのは。今までの自分がいかに錆びついた剣を振りかざしていたのかを思い知った。直後に通い始めた塾では、自分の知らない知識や解法をさも当たり前のように話され、周りとの差を痛感した。
私にとって幸いだったのは、自分自身の「プライド」をうまく利用できたことだ。
「自学自習で点数をとっているキャラ」としてのプライドをかなぐり捨て、少しでもわからないことを周りの友達や先生に聞きまくった。一方で、「何がなんでも東大に行ってやる」というプライドは捨てず、常にその目標を追い続けた。
もし前者のプライドを捨てられなかったら悲惨だ。
「今までなんとかなってきた」ことを根拠に自分のやり方に固執し、いつかは東大に合格する実力がつくはずだと思い込む。実は気づいていたはずの違和感に見て見ぬふりをし、いよいよその誤りを認めるのは、共通テストの後だったりする。
自己流に固執した結果受験に失敗し、音信不通になったり虚偽の申告をしたりしたという話も聞く。
ほとんどの受験生は遅かれ早かれ挫折し、劣等感を抱く。それは小学生かもしれないし、大学受験の直前かもしれない。
「目標」に関するプライドはできる限り捨てない方がいいだろう。しかし、「方法」に関するプライドは場合によっては捨てた方が賢明なときもあることは忘れないでほしい。