女性参加者は中年女性らしく、恥じらいが薄めである。「可憐」という形容詞は少女によく似合うが、中年女性は当然少女ではないので可憐さもだいぶ少なく、代わりに相手を安心させる豪放さ、ざっくばらんさが備わっている。
これまで生きてきた中で備わったであろう強さ、たくましさ――俗にいう「おばちゃんっぽさ」であり、相手の気遣いを軽減し、ポジティブなオーラで場を回していこうとする美徳でもあるわけだが、そうした女性が繰り広げようとする恋は、しおらしく開いた花が相手の様子をうかがって少しずつ物語が進んでいくような若者の恋とは、表面の見た目がまるっきり違う。
しかし、見た目がまるっきり違うのは確かなのだが、そんな豪放な中年女性であっても恋を進めるときはまごうことなき可憐さを取り戻し、それは非常にかわいらしく第三者の目に映るのであった。
「恋心の結実」とはちょっと違う
中年の性の捉え方
若者の恋になくて中年の恋にあるものの3つ目は、「性に対するある視点」である。ここで言う「性」は男女の性差の「性」でなく、性行為にまつわる方の「性」である。
若者の恋に置ける性は、恋の延長線上に位置づけられるものである。動物としての性的欲求も若者の方が旺盛な印象だが、こと「恋において」という条件下での性的行為は、お互いの恋心が結実したひとつの究極の形であり、ある意味プラトニックと言える。
中年以降の恋にもこの性の視点はあるが、これに加えて、性的行為が生活の中に位置づけて語られる機会が出てくるのである。このとき、性的行為は恋の中で得られる特別な行為でなく、生活を営んでいく中での日常的な行為として扱われる。