中年の恋愛が「変化・成長」ではなく
「完成品の応用」である理由
1つ目は、「変化していこうとする柔軟さが少ない」ことである。若者の場合は恋をきっかけに自分を変えていったり、あるいは日々自分を成形していきながら恋を探したりするものだが、中年の恋からは変化していこうとする気配があまり感じられない。
いわば「自分作り」とでも呼ぶべきフェーズはすでに完了しているのが中年であり、その上で行われる恋は「成長の一記録」ではなく、「完成品の運用」という趣きである。
しかしその代わり、中年は自分の形にフィットする相手探しに貪欲でもある。たとえば若い人に好きな異性のタイプを尋ねたときに聞かれる、「優しい人」「面白い人」といった回答がある。これは当たり障りのない模範解答でありながら、本人も自身の本音としてまあまあ納得できる希望でありつつ、実際に好きになる相手はあまり「好きな異性のタイプ」に当てはまらなかったりする。
要するに若者は、実際には「好きになった人がタイプ」なのであり、それも自分を成形していっている最中だからこその柔軟さであると言える。
他方、中年に「好きなタイプ」を尋ねたとき、実際に好きになる相手はその「好きなタイプ」にわりと当てはまる。自分が変化しながら恋を探しているのではなく、完成した自分に当てはまる相手を探している趣きが強まるのである。また、自己分析してきた量が若者より多いがゆえに、正確に「好きなタイプ」を答えられるというのもあるかもしれない。
経験の厚みというべきか、熟年の頭の硬さというべきか、はたまたその両方か、とにかく中年の恋はそういった傾向がある。