「傾向がある」という言い回しに留めているのは、必ずしもそうなるわけではないからで、同番組では恋ゆえに自分を変えていこうとする参加者も現れ、「自己変革のエネルギーが若者より乏しい中年でも、変化していくことを望むことがあるなんて」と、恋の力の偉大さを思わずにはいられないのであった。

「こじらせ」と「豪放さ」
おじさん・おばさんの基本的性格

 中年の恋にしか見られない要素の2つ目は、「男女それぞれの基本的な性格が違う」ことである。

 どういうことかざっくり説明すると、男性は基本的にこじらせ気味であり、女性は恥じらいが薄めで、その上で恋模様が展開されるのである。

 中年男性がダジャレを言うのを我慢できないのは、脳の仕組みが変わってきて自己抑制の機能が低下しているからだそうで、筆者も中年として思い当たる節がある。つまり、ダジャレを我慢できないのは自己が抑制できていないことの発露であり、またその状態の一面でもあるわけである。つまりおじさんという生き物は、はたから見ると面倒な感じになりやすい。

 また、男性は自身のキャリアを築き上げてきた中で、自分という存在に一定の信頼を置いていて(年代的にも昭和的価値観の中で育ってきたため「仕事=おれ」も比較的強い)、時としてそれが「ちょっと面倒くさいこじらせおじさん」のような形で表に出てくることがある。

 そのおじさんが恋をしているとき、恋の行く末は、「相手の女性がそのこじらせを愛するか、許容するか」に大きく関わってくる。「この男性のこじらせを相手の女性は受け入れるのかなー」という視聴者の視点は、従来の恋愛リアリティショーにもあるにはあったが、中年の恋愛を扱う『あいの里』では登場する回数が多いように感じられた。