ただ、ひばりは前年にメジャーデビューしたばかりで、少々強引という印象もなくはないが、ブギを歌う笠置が本場アメリカで歌い4カ月かけて歌手として見聞を広めるのは納得できる。

 笠置側の名目は“日系人慰問公演”としているが、興行が目的ではないと明言している。ひばり側は“日系2世部隊第100大隊記念塔建設基金募集興行”という“大義名分”を掲げ、帰国後公開される映画『東京キッド』の撮影も兼ねていた。

美空ひばり伝説の「悪役」にされた笠置シヅ子「ブギ禁止令」の真相とは?同書より転載。

“芸能界の黒い太陽”が仕切った
笠置のアメリカ公演日程の謎

 2人のアメリカ公演にはマネジメントを仕切る興行師の存在があり、笠置のホノルル、本土西海岸公演は松尾興行がマネジメントを仕切った。

 この松尾興行社長の松尾國三(1899~1984、日本ドリーム観光代表取締役)は明治時代に旅役者から身を起こし、興行会社やレジャー産業を経営するなど、芸能プロモーターや実業家として幅広く活躍した。政治家から芸能人、右翼・暴力団まで人脈も広く“昭和の興行師”“芸能界の黒い太陽”との異名を持つ人物である。

 一方、ひばりのハワイ、アメリカ西海岸での興行は日米キネマ(戦後、ハワイ・ホノルルで映画館を経営する傍ら、日本映画輸入エージェントを設立した興行会社)がマネジメントを担当したとなっている。