片山らは「スコアメーカー」を各球団に売り込んだが、その反応は芳しいものではなかった。そんな中で千葉ロッテマリーンズのバレンタイン監督が興味を示した。これをきっかけとして、NPBを舞台とするビジネスを開始した。

 アソボウズの名前が一般に知られるようになったのは、1995年の日本シリーズからだった。野村克也監督率いるヤクルトスワローズと仰木彬監督率いるオリックス・ブルーウェーブの対戦。アソボウズはヤクルトの依頼を受けて、オリックスの試合データを1球レベルで「スコアメーカー」に入力した。

 このシリーズの最大の焦点は、前年にNPB記録のシーズン210安打を記録するなど驚異的な成績を残したオリックスのイチローだった。イチローはこの年も打率.342で首位打者になったほか80打点で打点王、49盗塁で盗塁王にもなっていた。

 このイチローを抑え込まないことには、ヤクルトに勝機はない。アソボウズのスタッフはイチローの打撃データを徹底的に分析し、得意なコース、苦手なコース、安打の飛ぶゾーンなどをビジュアル的に提示。ヤクルトのスコアラーはこれに情報を加味して野村克也監督に報告した。