1995年10月26日の日本シリーズ第5戦ヤクルト対オリックスで、1~2塁間でタッチされるイチロー1995年10月26日の日本シリーズ第5戦ヤクルト対オリックスで、1~2塁間でタッチされるイチロー Photo:SANKEI

「データ野球」の側面で、今の日本野球は完全にアメリカの後塵を拝している。しかし、約30年前、米メジャーリーグへの進出を考えたほどのデータ分析会社が日本に存在した。その名は「アソボウズ」。日本のデータ野球に革命を起こした同社の軌跡を追っていこう。本稿は、広尾晃『データ・ボール アナリストは野球をどう変えたのか』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。

「データ野球」の先駆けは
ゴルフをきっかけに誕生

 今の日本野球は、データ野球の側面でアメリカに大きく水をあけられている。データ野球の考え方は、セイバーメトリクスをはじめ、アメリカから一方的に輸入されるだけだ。運用面では、アメリカに比べて立ち遅れている。

 しかし今から30年ほど前には、一時期は「MLBへの進出」を考えたほどのデータ分析会社が日本に存在した。その名はアソボウズ。データ野球について書くなら、のちにデータスタジアムと改称する、この会社について触れないわけにはいかない。

 株式会社アソボウズは片山宗臣(1946~)が1995年に創業したスポーツデータを分析する会社だ。片山は歌舞伎など伝統芸能の役者が舞台で使用する鬘職人の家の二代目として生まれたが、知人の借金の連帯保証人となり破産。ここから再起し、父の経営する会社を手伝うことになり、さらに全く畑違いのスポーツデータ会社を興すこととなった。

 そのきっかけとなったのは「ゴルフ」だったという。片山は若いころからゴルフが好きで、常にスコアアップを目指していた。当初はパワートレーニング中心の練習をしていたが、スコアが伸びないためフォームに着目。自分のスイングをビデオカメラで撮影し、ポイントをチェックした。