今振り返っても、もしも講座でただの1本のコピーも評価されなかったとしたら、僕はコピーライターの道を諦めていたかもしれません。
ちなみにその後、本格的に就活が始まってからは、いくつかの広告の会社のインターンを受けました。なのに、本番の就活――。意外なほどに、落ちる、落ちる。
堤 藤成 著
広告のために頑張ったことが、広告オタクとして敬遠されたのです。そしてなぜか、運よく第一志望だった電通の面接だけはうまく楽しく話せたのです。だから受かったときは、涙が出るほど嬉しかったことを覚えています。
そう考えるとあの日の苦しい状況が、コピーを書かせてくれたともいえそうです。良いことも悪いことも、すべて運命のめぐり合わせに感謝してもしきれません。
こうしてみると自分の人生はあの頃に書いた「東京人を大阪に呼ぶコピー」を体現しているようなものです。「アウェーで戦ってみませんか?」の言葉の通り、常にアウェーを感じる環境に挑戦してきた人生だといえるかもしれません。偶然であっても、その言葉は自分の生き方を表現するものだ、といえることもあるのです。