それでテレビ局の報道カメラマンのアシスタントというハードなバイトに身を捧げたり、大学でもCMを研究するサークルを立ち上げたり、学生ながら単身で海外の広告祭を見に行くなど、がむしゃらにできることをやり続けることができました。

 また、夢追いクリエーターとして、京都の小さなギャラリーで夢を応援する言葉の個展を開いたりもしました。

 こうした夢へのがむしゃらな取り組みの1つとして、「コピーライター養成講座」という、そのままストレートな呼び名のコピーライターの学校に通うことにしたのです。

 当時この講座では、いいコピーを書いた者には第一線で活躍する講師から「金の鉛筆」なるものが与えられる制度がありました。自分は中学からずっとこの広告の道に進むべく、研鑽を積んできたつもりでした。いろんな広告業界やクリエーターの本を読んで、学んできたという矜持があったのです。

 しかし、講座が始まると、まったく評価されないのです。こんなはずじゃない、という思いが強く、焦りに変わりました。肩身が狭くなり、どんどん泣きそうになりました。