「広野さん、お久しぶりです」

「お父さんなんでここに?室内練習場ですよ?」

「いや、私はイチローにずっと付いているんです。ところで、息子が今から打つので見てもらえませんか」

 広野に半年前の記憶が蘇る。イチローが練習場に入り、打撃投手のボールを打ち始めた。

書影『野球に翻弄された男 広野功・伝』(扶桑社)『野球に翻弄された男 広野功・伝』(扶桑社)
沼澤典史 著

 広野はイチローのバッティングを見て、鳥肌が立った。広野が指摘したバットの「遊び」が完全に直っていたのだ。ボールに対して、バットが真っ直ぐ出て、一軍のピッチャーのボールでも容易に打てるようになっている。イチローのすさまじいバッティングに見入っている広野に対し、宣之が聞いた。

「広野さん、息子は一軍に出れますか?」

「……いや、出れるどころじゃない。この子は3割打ちますよ」

「またまた、冗談でしょう?」

「いや冗談じゃなしに、レギュラーは間違いない。お父さん、3割打つから楽しみにしててください」

 広野の言う通り、イチローはこの1994年シーズンにレギュラーに定着し、当時のパ・リーグ新記録となる3割8分5厘を残して首位打者になった。

マリナーズ時代のイチローとマリナーズ時代のイチロー(左)と。ちなみにこのとき初めて直接言葉を交わした 写真提供:広野功

 広野は、この後、東尾修監督時代に二軍打撃コーチを務めて、1996年に退団。こうして、西武の黄金時代を支えた広野の9年間が終わった。