考える女性写真はイメージです Photo:PIXTA

「違和感を感じる」「合唱を歌う」「馬から落馬する」など、意味の重複する言葉は誤りだと見なされることが多々ある。だが言語学者の筆者曰く、ダメな重言としてよく引き合いに出される「頭痛が痛い」なども、情報量を足すことによって自然な表現になるのだとか。本稿は、川添 愛『言語学バーリ・トゥード Round 2: 言語版SASUKEに挑む』(東京大学出版会)の一部を抜粋・編集したものです。

「違和感を感じる」と言われて
違和感を感じない人もいる

 OKかどうかで意見が分かれる重言の1つに、「違和感を感じる」がある。ちなみに私はこれにあまり違和感を感じない(→だからこそ、こう書いている)。

 もっとも、オフィシャルな文章の中で「違和感を感じる」と書いてしまうと、「言葉の専門家のくせにこのような表現を使うのはいかがなものか」と言われる可能性があるし、実際に私以外の人がこんなことを言われているのを見たことがあるので、隙を見せないためにわざわざ「違和感がある」とか「違和感を覚える」とかに書き直している。

 想像上のウザ絡みに屈服している自分にちょっと嫌気が差すし、「絡まれる前に自分で訂正するバカいるかよ!」という猪木(編集部注/プロレスラーのアントニオ猪木)の声が聞こえなくもないのだが、校閲の人の手間を減らすという意味では自分で訂正するのがたぶん正解だと思って我慢している。

 しかしいったい何が「違和感を感じる」がセーフな人とそうでない人を生んでいるのかを考えると、結構難しい。「違和感を感じる」が槍玉に挙げられる理由としてすぐに思いつくのは、「いわカンをカンじる」という読み方が、一定数の人々に「カンカンうるせェんだよ!」と思われているというものだ。しかし、私たちは「歌を歌う」と言ったりもする。これに対して「ウタウタうるせぇ!」と言う人はあまりいないような気がする。