やはり、意味の重複が問題なのだろう。つまり「違和感を感じる」が不自然だという人は、「違和感」の中にすでに「感じる」という意味が入っているからおかしい、と思っているのだと思う。
「歌唱を歌う」「合唱を歌う」は
「歌を歌う」よりも不自然?
でも、もしそうなら、「歌を歌う」はどう説明すればいいのだろうか。「歌」の中にだって、「歌う」という意味が入っているのではないか。
1つ考えられるのは、目的語を「行為や出来事」と捉えるか、「モノ」と捉えるかによって個人差が生まれている可能性だ。
「歌」には「歌うこと」、つまり歌う行為(出来事)という意味もあれば、歌う行為の対象となる楽曲、つまりモノを表すこともある。実際、「歌を歌う」は、「(何らかの)曲を歌う」と言い換えることができる。つまり「歌」をモノと解釈するかぎり、「歌(=歌うためのモノ)を歌う(=歌う行為)」という解釈ができるので、冗長さが生じない。「食べ物を食べる」とか「飲み物を飲む」などと同じだ。
他方、「歌」を「歌う行為」と解釈すると、「歌(=歌う行為)を歌う(=歌う行為)」となって、冗長になると考えられる。実際、「歌唱」や「合唱」のように、歌う行為として解釈されやすい言葉が「歌う」の目的語に来ると、「歌唱を歌う」「合唱を歌う」のようになる。私の感覚では、これらはかなり不自然だ。