BtoBにかじを切ったNECが、デザインを経営の中枢に据えた理由

直接的にエンドユーザーとの接点を持たない企業にデザイン経営は効きにくい――。デザインの力の特性上、こうした見方が一般的だ。しかし、事業の方向性をBtoBへとかじを切ったNECは、経営戦略にブランド戦略をアラインするために、デザインを全社機能と位置付けた。なぜそのような判断を下したのか。その過程に注目すると、デザインを経営に組み込むCDO(チーフ・デザイン・オフィサー)の役割が見えてくる。

プロダクトデザインから新たな事業を生み出すデザインへ

 NECが国内の他のメーカーに先駆けてトランジスタ式コンピューターの開発に成功したのは、1958年のことだった。タイミングを同じくして、NEC初のデザイン部門が創設された。当時の日本において、デザインとはすなわち「形や色のデザイン」を意味した。NECにおけるデザインも、ハードウエアの形や色や大きさを整えるプロダクトデザインが中心だった。

 NECのデザイン思想が大きく変化したのは、「第三の創業」と位置付けられている2013年のことだった。会社全体のビジネスがBtoCからBtoBへと大きく舵を切ったこの年から、デザインの役割も大きく変わることになった。プロダクトデザインから新たな事業を生み出すデザインへ――。それが変化の方向性だった。それに伴ってNECのデザイン機能は、新規事業開発を担う本社ユニットに組み込まれることになった。この動きを指揮したのは、当時副社長であった新野隆(現会長)である。それだけ全社的な使命を持ったユニットだったということだ。

 これを機に、多くのデザイナーは、既存事業のデザイン業務を担いつつ、新規事業を創出する仕事に従事することになった。デザイナーの本属は新ユニットだったが、実業務においては各事業部や研究所、グループ会社などに所属して個別部門で働く形態が取られた。各部門における仕事の進め方は、事実上、個々のデザイナーの裁量に任されていた。

 デザインに対する経営陣の期待は大きかった。しかし、デザイン側でその期待に十分に応えることができていたわけではない。組織的なまとまりがなかったこと、事業を生み出すためのマインドやスキルが追い付いていなかったこと。その二つが大きな理由である。結果、模索期とでもいうべき時期が19年まで続くことになった。