動画ツールでの学びが、人の成長過程を変える?

  私が、同僚の哲学者と一緒に取り組んでいる授業に、哲学対話の方法を用いて展開しているものがある。さまざまな専門分野を学ぼうとしている学生たちが、各人それぞれの関心をテーマにして、自分の経験に基づいた実感から生まれる考えを述べる。他者の意見を聞き、自分の考えとの異同を意識しながら、自分の考えを深めていく授業である。

 この授業の一コマで、「メディアの発達は、人間の能力にどのような変化を与えているか?」というテーマで語り合う回があった。学生たちの関心が高いテーマで、いくつもの興味深い発言を聞くことができた。学生たちの発言のいくつかを紹介しよう。最初に紹介するのは、子どもがおとなになっていく過程が崩れていくことに不安を感じている学生の発言である。

“現代のメディアの中では、小学生と40代とが、お互いに見知らぬ関係のままコミュニケーションが成り立ってしまいます。子どもは、段階を経ずに一気に社会の中に入り込んでいくようになったのだと思います”

 これまで、子どもは、親との関係から同世代の仲間たちとの関係へ、また、信頼できる集団内での関係から見知らぬ他者によって成り立つ社会での関係へと、徐々に関係を広げていくことによっておとなになると考えられてきた。しかし、現代の子どもたちは、信頼できる他者との関係と、見知らぬ他者との関係を、同時に生きるようになっているというのだ。

 情報についても同様だろう。かつては、「子どもにはまだ早い」情報は隔離されていた。心身や社会性の成熟に即して、段階的に情報量を増やしていくことが、子どもにとっての望ましい発達だと考えられていた。しかし、いまや、「子どもにはまだ早い」情報を子どもたちから遠ざけておくことが難しくなった。

 この状況は、決して悪いことばかりではない。子どもでも関心さえあれば、年齢に関係なく、適切な情報を自ら探して学びを進めていくことができるようになった、とも言えるからである。

 私がよく観るのは音楽関係の動画サイトだが、例えば、ジャズのアドリブにおける音の使い方など、とてもわかりやすく解説しているものがたくさんある。そうした動画サイトでは、音符と実際の音の両方を同時に確認しながら理解できる。しかも無料だ。同じ内容の教則本だと、音符から音を読み解く力が不可欠だったが、動画サイトだとその力はあまり重要ではない。動画サイトでは、耳から音を入れて、その音の確認のために音符を読む。教則本では論理的な学びだったのが、動画サイトでは感覚的な学びになっていると私には感じられる。感覚的な学びであれば、論理的な思考が未熟な子どもであっても、役立つ情報を得ることができる。

 動画ツールを使った学びは、時には年齢による区切りを越える。学びの前提になる知識や経験が乏しくても、学習者にとって役立つ学びになり得る。したがって、コンテンツが豊富で手軽に利用できる動画ツールが普及したことで、関心のあるテーマさえ見つけたら、子どもでも年齢が大きな制約にならず、自律的に学び、関心のあるテーマをめぐって、おとなとのコミュニケーションを成り立たせることもできる。

 このような、動画ツールの利点にもかかわらず、ステップ・バイ・ステップで子どもがおとなに成長していく過程、あるいは、段階を追って学んでいく過程が崩れていくことに対して、学生が一抹の不安を覚えていることに、私は興味をひかれた。