学生をはじめとした若者たち(Z世代)はダイバーシティ&インクルージョンの意識が強くなっていると言われている。一方、先行き不透明な社会への不安感を持つ学生も多い。企業・団体はダイバーシティ&インクルージョンを理解したうえで、そうした若年層をどのように受け入れていくべきなのだろう。神戸大学で教鞭を執る津田英二教授が、学生たちのリアルな声を拾い上げ、社会の在り方を考える“キャンパス・インクルージョン”――その連載第15回をお届けする。(ダイヤモンド社 人材開発編集部)
* 連載第1回 「生きづらさを抱える“やさしい若者”に、企業はどう向き合えばよいか」
* 連載第2回 ある社会人学生の“自由な学び”から、私が気づいたいくつかのこと
* 連載第3回 アントレプレナーの誇りと不安――なぜ、彼女はフリーランスになったのか
* 連載第4回 学校や企業内の「橋渡し」役が、これからのダイバーシティ社会を推進する
* 連載第5回 いまとこれから、大学と企業ができる“インクルージョン”は何か?
* 連載第6回 コロナ禍での韓国スタディツアーで、学生と教員の私が気づいたこと
* 連載第7回 孤独と向き合って自分を知った大学生と、これからの社会のありかた
* 連載第8回 ダイバーシティ&インクルージョンに必要な「エンパワメント」と「当事者性」
* 連載第9回 “コミュニケーションと相互理解の壁”を乗り越えて、組織が発展するために
* 連載第10回「あたりまえ」が「あたりまえではない」時代の、学生と大学と企業の姿勢
* 連載第11回「自由時間の充実」が仕事への活力を生み、個人と企業を成長させていく
* 連載第12回 “自律”と“能動”――いま、大学の教育と、企業の人材育成で必要なこと
* 連載第13回 特別支援学校の校長を務めた私が考える、“教え方と働き方”の理想像
* 連載第14回「いかに生きるか」という問いと、思いを語り合える職場がキャリアをつくる
大学ではボランティア活動は特別なことではない
阪神淡路大震災から29年、東日本大震災から13年、熊本地震から8年の月日が流れた2024年、日本中が能登半島地震に揺り起こされた。
私が勤務する神戸大学は、阪神淡路大震災に被災して以降、学生たちのボランティア活動が盛んである。ボランティア元年と言われた1995年、学生たちはボランティアサークルを立ち上げて、地域の中に入り込み、復興支援に尽力した。そのボランティアサークルは現在でも活動を続けており、大きな災害があるたびにボランティアバスを派遣するほか、日常的にもさまざまな社会のニーズに応じたボランティア活動を展開している。
学生たちが先導したボランティア活動に呼応して、ボランティアをテーマとする授業が開設されるなど、大学側もボランティア活動を応援してきている。東日本大震災のときには、多くのボランティアバスが東北に向かい、岩手県や宮城県の各地と継続的な縁を結んだ。そして今回の能登半島地震でも、学生たちは復興支援の活動を模索している。神戸大学の学生たちにとって、ボランティア活動は身近なのである。
私自身は、阪神淡路大震災の折には東京にいて、神戸に移り住んだのはその3年後だった。当初から、ボランティア活動を積極的に行っている学生たちと関わり、私もその学生たちと一緒にさまざまな活動を行ってきた。東日本大震災のときには、数回にわたって学生たちと宮城県に向かった。そのときに出会った被災者との交流はいまでも続いている。
同僚の教員の中には、もっと大規模に学生たちとのボランティア活動に取り組んでいる人もいる。その教員は、岩手県の漁港の町に深く入り込み、被災者支援から復興のまちづくりまで、息の長い支援を行っていた。また、被災地ばかりでなく、過疎地、社会福祉施設など、多様な現場で学生たちと一緒に活動しており、多くの学生たちがこの教員のプロジェクトに参加している。ボランティア活動の現場では、さまざまな課題に本気で取り組む人たちと出会うことができる。その出会いがもたらす学びを大切にしようという思いが、この教員の行動を支えている。
私自身は、2005年に神戸市との連携協定に基づき、「子育て支援をきっかけにした共に生きるまちづくり」をめざす神戸大学の施設「のびやかスペースあーち」(以下、「あーち」)で、ボランティア学生と一緒に活動を展開してきている。教員と学生という関係を超えたボランティア学生との関わりは、学生たちの成長を肌身で感じる機会でもあり、私自身の教員生活を豊かにしてくれていると感じる。
訪問者などから、よく、「あーちのボランティア学生は、津田先生のゼミ学生ですか?」と尋ねられることがある。幸か不幸か、私のゼミ学生で「あーち」でのボランティア活動を一緒にしてくれる学生は少ない。ゼミ学生の中に、指導教員と公私にわたって近づきすぎることを警戒する気持ちがあるのだろうと、私は推測している。
「あーち」の学生ボランティアは、完全に自発的な意思で「あーち」に集まってくる。ボランティアである以上、学生たちは自発的な参加でなければならない。大学で取り組んでいる活動だからこそ、学生に提供されるべきなのは「学び」であり、強制力は「学び」を損ないかねないと私は思う。
では、学生たち自身は、ボランティア活動をすることについてどのように考えているのだろうか。大学生になったらボランティア活動をしてみると決めて入学してきた学生もいるし、友だちから誘われて参加してみたという学生もいる。人の役に立ちたいと思って活動に参加する学生もいるし、人との出会いを求めて参加する学生もいる。学生それぞれによって、ボランティア活動への思いや意味づけは異なる。
ボランティア学生たちの思いについて考えていると、私自身も、新しい世界を知りたくて、自分にしっくりくるボランティア活動を探し回った学生時代を思い出す。