自分自身の感性に蓋をして生きるのは、私にはとてもしんどいことだった。できることなら、自分自身の感性を豊かに育むために、仏教を実践したかった。私は、旧習の檻の中に閉じこもるのはもうやめて、妻にも意見を聞きながら、お寺社会の新しい地図をどう描くかについて、真剣に考え始めるようになった。
型破りな住職が
一念発起した理由
とはいえ、言うは易く行うは難し、である。ご年配の檀家さんとばかり話してきた私は、どんな言葉を語れば同世代が振り向いてくれるのか、見当もつかなかった。
言いようもない焦りが、つのる一方だった。
当時の日本は、バブル崩壊以降の長引く不況の中で、戦後日本の社会を作ってきた終身雇用や年功序列制度が時代遅れの遺物とみなされ、代わって、若手起業家がIT技術を駆使して新しいマーケットを開拓して注目を集めていた。ITが古臭い日本の社会に次々と引導を渡していく様をニュースで見ながら、私は実に胸のすく思いを味わっていた。
お寺も、時代の変わり目を逃してはならない――。
同じ速度で革新すれば、現代にふさわしいお寺になるが、伝統を盾にして変化から目を背ければ、過去の遺物になり果てる。
要するに勝負の時が、今なのだ。
私が戦いを挑もうとしている相手は両親というよりも、両親が背負ってきたお寺全体の旧習であった。だから、同じような危機意識を持ち、旧習に引導を渡すために共同戦線を張ってくれる同世代の仲間はきっと大勢現れるだろうと、淡い期待を抱いていた。私は、実家の近くのお坊さんや、大学時代の研究者仲間、そして、奉職していた知恩院の同僚らに片っ端から声をかけた。