だが、共感してくれるお坊さんは、ほぼ皆無だった。斬新な活動に加担することで教団から干されることを恐れた人もいたし、そもそも「お寺は変わらないものだ」という理屈に矛盾を感じていない人も多かった。
知人らの気持ちがわからないでもなかった。定年制度すらないお坊さんの世界は、文字通り浄土に旅立つまでの“終身”雇用。70歳、80歳になっても現役で、いつまでも権力を握ったまま。40代、50代はまだ若手。20代の新米僧侶にはまったく発言権がなかった。ITを活用したこれからの布教の形をいくら提案しても、「インターネット」という言葉すら理解しない70代、80代のお歴々にはまったく刺さらない。「ご年配の檀家さんはパソコンを使わない」「時代に流されないのがお寺の良さ」と一蹴されるだけだった。
妻と二人三脚で
発行したフリーペーパー
本当に変わらないままでいいのだろうか。
いや、当たり前が当たり前に通用しない社会は、絶対に間違っている。
新しいツールを積極的に使って、より多くの人に教えを伝えてきた結果、今日まで仏教が続いてきたはずである。変わらない価値を伝えるためには、変わり続けなければならない。「諸行無常」を説きながら変化することを拒むなら、お坊さんの生き方こそが仏教から外れているではないか。
「葬式仏教と馬鹿にされる状況を打破し、現代を生きる力にしたい」