一度きりの人生、私は自分なりの生き方で生きたかったし、相手もまた同じだった。

 両親の意見に耳を傾けず、結婚へと突き進むのみ――。

 いくら否定的な言葉をかけられても、私は怯まなかった。両親との関係がこじれることをあっさりと覚悟し、毅然と結婚を選んだ。親不孝であることを恥じる思いはまったくなく、「お寺らしさ」という得体のしれない闇と決別したことを、誇らしく感じていた。私の体を、はじめて「自由」の風が吹き抜けた気がした。

仏教に等身大で
向き合う

 婚姻届を出し、彼女と一緒に住むようになったのは2008年の暮れ。私は28歳になっていた。旧習や格式よりも自分たちの感性を重んじる私たち夫婦は、翌春に控えていた結婚式や披露宴など片手間の通過儀礼ぐらいにしか取り合わず、それよりもむしろ独身の頃と同じようにそれぞれの時間を大事にしていた。

 両親の反対を押し切ってまで結婚を決めた以上、私にも引くに引けない思いがあった。外車が好きかどうかなんて、仏教を実践していくうえでどうでもいいはずである。地味な国産車に乗って没個性的な生き方を装っているせいで、世間からお坊さんが退屈な存在に見えているとも考えられるだろう。むしろ外車に乗って颯爽と現れて、美しい立ち居振る舞いや切れ味の鋭い法話で人の心を捉えるお坊さんのほうが、意外とカリスマ性があると騒がれたりするのではないか。