お葬式に出かける頃にはもうぐったり。それでも時間どおりに葬儀場へ到着し、平気な顔をつくろって喪主に挨拶をし、導師席についたら精一杯声を張り上げる。でも、体は正直なもので、いつものように声が響かない。「くそっ……あの忌まわしいオネショさえなければ」というお坊さんらしくない思いが去来するなか、なんとか気力を振り絞って引導をわたす。
葬儀が終われば火葬場に向かう。炉前で読経し、ご遺体を納めた棺が火葬炉に入って扉が閉まると、私のつとめはいったん終了となる。ご遺族が「大変お世話になりました」とかしこまって丁重なお礼を言ってくださるが、私には余韻にひたる余裕はない。一刻も早くお寺に戻り、オネショ処理の続きをやりたい一心であった。
京都市の火葬場の場合、火葬から収骨までおよそ九十分である。収骨が済めば私は再び初七日の読経にうかがうことになるので、のんびりしている時間はない。火葬されているあいだ、私はシングルファザーの顔に戻って、まだ湿っている敷布団や、洗濯機で脱水まで終わった布団カバーとパジャマを乾かす。そうこうしているうちに、電話が鳴り「初七日お願いします」と連絡が入る。再び法衣に着替えて会場に向かう。
シングルファザー住職の生態は、聖と俗をいったりきたりで、何ともシュールである。