IWC(国際捕鯨委員会)を脱退し、2019年に商業捕鯨を再開させた日本。1982年にIWCが採択した商業捕鯨モラトリアムにより調査捕鯨を余儀なくされた32年間は、反捕鯨団体との衝突の歳月でもあった。数ある反捕鯨団体の中でも、「シーシェパード」の活動は常軌を逸しており、船員の命が危険に晒されることもあったのだという。本稿は、山川 徹『鯨鯢の鰓にかく:商業捕鯨 再起への航跡』(小学館)の一部を抜粋・編集したものです。
国際捕鯨委員会が指摘するのは
クジラの致死時間の長さ
1990年までの期限付きで始まった商業捕鯨モラトリアムは、一時停止のはずだったが、やがてその期限を越え、「永久停止」の様相を呈するようになる。そんななか商業捕鯨再開の切り札と目されたのが、改訂管理方式だ。阿部敦男(編集部注/日新丸、第三勇新丸の捕鯨船2隻を束ねる船団長)は語る。
「IWC(国際捕鯨委員会)にも認められた改訂管理方式があれば、商業捕鯨は再開できるし、反捕鯨国にも納得してもらえるだろうと。そのうち自分たちの仕事が認められて、また南極海で商業捕鯨ができる。そう疑いもしていませんでした」
阿部のような見通しを持つのは無理もない。改訂管理方式の導入が見送られ、調査捕鯨が32年も続くと想像できた者はいなかったのだ。しかし反捕鯨国は、クジラを殺す捕鯨自体が反倫理的だとして、資源管理という考え方自体を否定した。
「もっとも悔しかったのは、感情論で押し切られてしまったことです」
阿部は当時の思いを吐露した。
「我々が資源の回復を証明すると、反捕鯨国は、商業捕鯨を再開したらまた乱獲するのではないかと危惧した。そこで、資源量が絶対に減らない改訂管理方式がつくられた。すると今度は『残酷だ』と話をすり替えた」
残酷でない捕獲。調査捕鯨でクジラの資源量の回復を証明した日本に、反捕鯨国が次に突きつけた条件だ。