スマホを持っていなかった僕は、家で何度も乗り換えを調べて、手帳にメモし、4月末の休日に汐留のビルに向かった。今まで入ったことのない大きなビルの中で、指定された会場に向かう。何人か面接に来たであろう人たちが緊張した面持ちで待っている。なにせ1期生の募集なので、そもそもどんな財団なのか、誰がいるのかもよくわからない。

 自分の出番が来たので、面接のマナーを思い出しながらノックをして部屋に入る。

 面接担当の方が2名座っていた。僕は、内閣総理大臣賞を受賞したセミの研究やこれまでのことを、用意してきたスライドで発表した。面接担当の方の反応もそんなに悪くなさそうだ。

 そんな雰囲気もあってか、僕はプレゼンの最後になって、練習していなかった言葉が自然と漏れた。

「僕はこの4月に三重から上京してきました。ずっと夢だった東京大学です。でも仕送りもなくて、大学から申し込める奨学金も全部落ちて…どうしていいかわかりません。でも勉強したいことがいっぱいあるんです。僕に学ぶチャンスをください。必ず…必ずいつか恩返ししますから…僕に学ぶチャンスをください…」

カルチャーショック

東大の前期教養学部の授業の必修科目ではなじみのあるクラスメイトが多くいるのだけれど、文理問わず、受講する授業では初めましてのメンバーが多くなる。そのうちの一つが英語の授業だ。カタカナ英語の域を出ない僕を尻目に、ペラペラと流暢に英語を話す受講生たち。話を聞くと、小さいころ海外に住んでいたとか、何かのプログラムで海外に行っていたとか、そういう人が少なくなかった。

「夏休みどうする?」
「海外行こうと思って!」
「え? 私も! どこ行くの?」

 そんな会話が授業の合間やキャンパスで耳に入るたびに、僕は違う世界に迷い込んだ気がしてならなかった。

「せっかくの大学生活、どうして海外経験しないの?」

 そう言われている気がした。でも、今の僕には生活費すらない。4年間、親に頼らず生き抜かなくちゃいけない。リベラルアーツ? 勘弁してくれよ、と正直思っていた。僕は教養なんかより、生きていくことに精一杯。運転免許もみんな取りに行くらしい。でも、車の免許にお金を使うくらいなら、明日も生きるためのご飯や寮費、教科書代に回さなくちゃいけない。