明子さんの頭にはつねにこの言葉が出てくるようになっていた。中学2年もあと数ヵ月で終わるという頃、明子さんの足は学校には向かなくなっていた。
「当時の自分が何を考えていたのかわからないのですが、とにかくなんとなく、“自由になりたい”という気持ちがあったことだけは覚えています。制服を着て学校に行くふりをして、渋谷からひたすらバスに乗ってみたり、山手線に一日中乗ってみたりしていました。
部活はやりたかったので、部活の始まる時間に登校する生活を数日続けていたら、すぐにバレてしまい、親も呼び出しになりました。それからは、まるでダメで。登校して教室に入ろうとすると過呼吸みたいな症状が起こって。先生ももうこの生徒はうちの学校には向かないなと思ったと思います」
慶應の付属校に通う兄は、
「なんでそんなに反抗するの。意味ないよ」
と投げかけてきた。そんな兄に対しても当時の明子さんは反抗的だった。決まって、
「幼稚舎しか受験をしたことがないくせに、お兄ちゃんには私の気持ちなんかわかんない!」
と言い返していたという。
「一種の反抗期だったのでしょうかね……」
大人になり、そう振り返る明子さんだが、明子さんは反抗期で学校に足が向かなかったのだろうか。わがままで学校をサボっていたのだろうか。彼女が求めてやまなかった「自由」とは何だったのか。
「自立」と「自律」を経て
子どもは大人になっていく
子どもの成長の過程には2つの「じりつ」があると言われる。1つは、経済的、生活技術的、身体的な「じりつ」を指す「自立」であり、将来親に頼らずとも生きていけるようになることだ。そこまでが親の義務だという考え方に使われるのはこちらの「自立」だ。