斎藤知事再選で「SNSに負けた」はメディアの言い訳、自主規制でがんじがらめの報道が信頼を取り戻すには兵庫県知事選の報道で、メディアは本当に「SNSに負けた」のだろうか Photo:JIJI

SNSに負けたのではない
メディアは自主規制に負けた

 斎藤元彦氏が再選を果たした兵庫県知事選の結果には私も驚きましたが、「メディアがSNSに負けた」と驚くメディアの人たちが多いのに、もっと驚きました。東京都知事選の石丸伸二氏のケースを分析していればこの結果は予想できたはずで、今回こそ自分たちの奢りを反省し報道のやり方を考え直さないとメディアは生き残れない、と言いたくなりました。

 たとえば、テレビ朝日系『モーニングショー』のコメンテーター、玉川徹氏は「われわれは公職選挙法で縛られているから自由な報道ができない」と選挙直後に発言していました。彼ほどのキャリアがあるにもかかわらず、これは大きな間違いです。公職選挙法のどこにも、報道を制限する文言はありません。むしろ、自由な報道を奨励しているのです。

 実は、20年以上前まで『週刊文春』も、選挙中に一方の候補者を攻撃する記事を掲載したり、逆に片方を誉めたりするのは不公平で、公職選挙法に抵触するのではないかと思っていました。しかし、小泉純一郎首相による郵政民営化解散総選挙で、突然立候補した刺客たちの経歴にあまりにも疑問点が多かったので、顧問弁護士に「選挙中に彼らについて書いてはいけないのか?」と相談しました。

「選挙中の候補者は、自ら手を挙げて税金の使い道を決める仕事をやると立候補した人です。有権者にとっては、その人の考えだけでなく、家族の情報も判断材料として重要です(たとえば、教育改革を訴える人の子どもが問題児であった場合、それはプライバシーであっても、情報公開が規制されるものではない)。つまり、候補者が一番プライバシー保護を優先されない時期は、むしろ選挙期間中なんです」

 そう言われて慌てて勉強した結果、文春は記事掲載に踏み切り、以降その方針を堅持しています。

 しかし、大手メディアの若い記者に聞くと、選挙中は細々とした自主規制を会社から言われるそうです。たとえば「候補者の写真を1人だけ出してはダメ。集合写真にしろ」といった、どうでもいい内容です。国民の知る権利に最も応えなければならない時期に、なぜ自ら規制をするのでしょうか。メディアが自主規制などせず、自由に言うべきことを言い、報じるべき事実を報じていれば、今回の選挙でも、兵庫県民がここまでSNSの影響を受けることはなかったはずです。

 ですから「税金の使い道を決める人を決める選挙」について、これから本当に自由に、そして丁寧に、今回の選挙結果と流布された流言蜚語を精査することが、メディアの信用を回復するための大事なチャンスだと思います。公職選挙法も、「虚偽」を報じることは罪にあたるとしているからです。