そんなふうに軽く言える話じゃないだろうと、私は少しあきれていた。
ジョゼフが続けた。
「だが、うれしい感情をもたらす環境にいる場合もある。好きなチームが予想外に勝利したり、上司から昇進を告げられたり、妻からロマンティックなデートに誘われたり」
「もっとすごいことでもいいと思いますがね。で、話のポイントはなんですか?」
「ポイントはこういうことだ。
われわれのまわりではつねにいろいろなことが起きている。
起きている出来事に対して選択できることは多くないが、起きていることをどう解釈するか、次になにをしようと決断するかは選択できる。
いい例がある。きみに初めて『選択の地図』を見せたときのことを考えてみよう。それを見ただけで、きみが考えたこと、感じたことは、まさに『批判する人の道』へ追い込むものだったね。そのとき、なにが起こったと思っていたんだい?」
自分を観察し、選択することが
クエスチョン・シンキングの意義
私はあのとき頭をよぎった質問を思い出していた。
「ジョゼフは私を批判する人や敗者だと思っているのだろうか?」
「批判する人の落とし穴に落ち、泥沼にはまっている人のように思っているのだろうか?」
私はこう答えた。
「なにかに怒りを感じてしまっていました。かなり悪い考え方に陥っていましたね」
「ここで問題にしているのは、いいとか悪いとか、正しいとか間違っているとかじゃない。なにが起きたか、それに対してきみがなにをしたか、を観察しているだけなんだ。
それぞれの道の入口にあった小さな矢印を思いだしてごらん。『選択』と『反応』だ。なにかが起こった最初の瞬間に、きみは起こったことに『反応』し、ネガティブな批判する人の質問で自分自身を攻撃したんだよ」
「私は見込みのないケースなんでしょうか?」
弱々しい笑みを浮かべながら、私は訊いた。
ジョゼフはほほえみ返してくれた。
「ネガティブ・セルフクエスチョンのいい見本だよ。『批判する人の落とし穴』へ真っ逆さまだ」
「抜けだすにはどうすれば?」