信じるからこそ「お金」が回る

大竹 一方で、「お金」があるからこそ、社会や経済がうまく回っている側面を見逃してはなりません。

「お金」がない時代、人間関係が確立されていないところでの経済取引は、相当な困難を伴ったはずです。相手がどんな人かわからなければ、正当な交換が行われるかどうかわかりません。そこに「信頼」が成り立っていないからです。

「お金」は、その「信頼」を肩代わりしてくれます。相手が誰であるかを知らなくとも、「お金」を媒介にして、交換を成立させることができます。そもそも、いまの「お金」は「信頼」で成り立っています。紙幣にはモノとしての価値はありませんが、日本銀行が「お金」としての価値を保証していて、日本中の人が日本銀行、そしてそれを支える社会システムを「信頼」しているからこそ、「お金」としての価値を持つわけです。さらに、社会全体で「お金」という同じ基準を持つことで、一対一の人間関係がないところでも信頼関係が築きやすくなった、とも言えるでしょう。

 さらに、金融の世界の「お金」の貸し借りは「信頼」にもとづいていますし、インターネット上での経済活動も、買ったものが送り届けられるという「信頼」があるからこそ成り立っています。「信頼」によって、社会の経済活動が円滑になっているのです。

タダ乗りを防ぐのは楽じゃない

――社会の仕組みが「信頼」を前提にしているということですが、「おかね道」の企画展では、「お金」を払わずに便益を得る「フリーライド(タダ乗り)」の問題を取り上げています。こうした問題と「信頼」との関係は、どのように捉えればよいのでしょうか?

大竹 これは非常に難しい問題です。ある程度までは、人間の善意が「信頼」を自発的に育む側面に期待することもできますが、一方では、人間は誰しも、誰も見ていないところでは自分だけ得をしたいという側面もあります。この二面性には個人差がありますし、どちらが強く出てくるのかは、実験の条件によっても結果は大きく変わります。

 たとえば、日本の伝統的な村落共同体は、メンバーシップを固定して一生を同じ場所で過ごすようにすることで、「フリーライド」したくてもできないさまざまな仕組みをつくっていました。それが行き過ぎると窮屈な監視社会になりますが、それがうまく行動規範として内面化されると、思いやりの心が育まれます。

 これは、「社会的制裁」という負のインセンティブによるタダ乗り防止のひとつの例ですが、反対に、集団に協力的な行動に対して報酬を与える正のインセンティブによって、「フリーライド」を防ぐという方法もあります。

 ただし、報酬には報酬でマイナスの要素があります。報酬を得ることが目的になると、もともとあったはずの善意が失われてしまうこともあるからです。これを「内発的動機づけの喪失」といって、楽しむために始めたことに報酬を与えると、その楽しみが削がれてしまうことが知られています。「おかね道」展の「実験5」がまさにこの点をテーマにしています。

 このように、正負どちらのインセンティブにもそれぞれ一長一短がありますし、人々の行動にどういう影響を与えるのかは、実際にやってみないとわからないところもあります。試行錯誤しながら制度をつくり、改良を加えていくしかない難しさがあります。