日の丸は塗りつぶされ
朝鮮人は歓喜の声をあげた
府内が騒々しくなるのは、16日午後になってだった。再び田中の日記を引用する。
〈街には日の丸を巴まんじにぬりつぶし、四隅に易者の広告みたいな模様の韓国の国旗が氾濫している。電車には屋根の上迄はいあがり、トラックは人を満載して万歳の叫びをあげながら右往左往している〉
朝鮮総督府官房総務課長として終戦を迎えた山名酒喜男(みきお)は、帰国直後の1945年12月に日本政府に提出するためにまとめた報告書『朝鮮総督府終政の記録(1)終戦前後に於ける朝鮮事情概要』で、8月15、16日のもようを日本人、朝鮮人の双方に分けて「大詔渙発後に於ける主要都市の状況」と題してまとめている。総督府官僚としての状況観察の記録と分析である。興味深い内容なので、少し長く引用する。
〈八月十五日、大詔渙発せらるるや、内鮮人共に極度の衝動を蒙り、一時は呆然たるものありしが、日本人側は一切を挙げて官の措置に俟つの態度を以て冷静に推移せるが、朝鮮人側に於いては、停戦に依るポツダム共同宣言の受諾を見るときは、朝鮮は直ちに日本より解放せられて独立するものなりと誤解し、終戦平和到来の安堵と朝鮮独立歓喜の情に興奮し、これに一部不穏分子の巧妙なる煽動あり、八月十六日、京城府内の目抜きの場所を中心として、多衆民の街頭示威運動の展開せらるるに及べり。
即ち、米国旗と旧韓国旗の併掲の下、「朝鮮独立万才、連合軍歓迎」を呼号して多衆示威運動と為り、公的企業体の乗用車及びトラック等も、運転手の朝鮮人なりしものはこの示威行列運動に参加し、恰も公的企業体自体、行列行進に参加せるが如き観を呈せり。
思うに斯くの如くに街頭に雲集せる群集を解散せしめ、家宅に在らしむることは殆ど不可能にして、強力なる軍官憲共同の権力行使を必要とし、殊には之が弾圧下、万一にも流血の不祥事件の発生を見んか、全鮮日本人に対する反動的不祥事件の誘発は必至にして、寧ろ此の際は彼等の心中に急激に点火せられたる歓喜の激情を、此の街頭行進の流露消火せしむるの已むを得ざるに非ざるや。