斯くの如き情勢を馴致せるは、朝鮮の治安取り締まりの第一線の任務に従事すべき警察機関の七割以上が朝鮮人なりしこと、従って警察機関が朝鮮人青年学徒の不法行為取り締まりに際して急激に無力化せることは已むを得ざる次第なるが、一時は警察署、駐在所等職務執行を不能ならしむるが如き出務状況に陥れり〉

「ソウルにソ連兵が来る」
デマとともに振られた赤旗

 山名の報告書にあるような「一部不穏分子の巧妙なる煽動」によるものであるのか、京城府内には「ソ連兵が入城する」というデマが流れた。「京城電気」社長だった穂積真六郎は、死去後に発刊された遺稿集『わが生涯を朝鮮に』に収録された手記で、デマが拡散した様子を次のように回想する。

書影『奪還-日本人難民6万人を救った男-』(新潮社)『奪還-日本人難民6万人を救った男-』(新潮社)
城内康伸 著

〈私はその頃の光景を、未だに忘れることが出来ない。

 八月十五日の午後三時に「ソ連兵が京城駅に到着する」というデマが市中に広がって、二時頃には南大門通りを、老いも若きも熱狂した手に赤旗を振り振り大道を埋めて駅に走った。電車は鈴なりどころか、危険な屋根の上にまで赤旗の人を満載した。人々は駅頭に集まった。これが終戦後、京城在住の日本人の心胆を寒からしめた最初のことであろう〉

 総督府はたちまち機能不全に陥った。解放に沸く朝鮮人をいたずらに制御しようとすれば、流血事件に発展しかねない。総督府は在留邦人の保護にも自信を失っていた。