沖縄の空撮写真はイメージです Photo:PIXTA

失敗する組織内には、指導者たちの合理的な判断によって、「やましき沈黙」が生じる。そして、どこかに潜んでいた「黒い空気」が、いつのまにか組織全体を覆ってしまう――。慶應義塾大学商学部教授・菊澤研宗氏は、「不条理」研究の先駆者として多くの著作があるが、その集大成として、組織を失敗に至らせる病を「黒い空気」と表現する。この概念は、戦史の事例研究に端を発するものだ。一例として、「義烈空挺隊の沖縄攻撃とその指揮官たち」についての論考を紹介する。
※本稿は、菊澤研宗『指導者(リーダー)の不条理』(PHP新書)より抜粋し再編集したものです。

第三回の突撃命令と「空気」

 1945年4月、米軍が沖縄に侵攻し、これに対して、日本軍は空からの特攻と戦艦大和を中心とする海上特攻も展開した。しかし、日本軍の攻撃の効果はうすく、米軍は上陸に成功し、次々と飛行場を占領していった。そして、5月になると、米軍に奪取された沖縄の各飛行場に米軍の陸軍航空隊や海兵隊の航空機が多数進出した。

 それでも、日本軍は陸軍の重砲による砲撃や、陸軍重爆撃機、そして海軍の夜間戦闘部隊である芙蓉部隊などの空襲によって執拗に沖縄の米軍飛行場を攻撃し続けた。しかし、米軍の飛行場を無機能化するほどの損害を与えることはできなかった。逆に、米軍の航空戦力は強化されていった。

 こうした状況下で、大本営陸軍部は陸軍第三二軍を首里城から沖縄南部の摩文仁(まぶに)の壕へ撤退させた。そして、特攻作戦の援護のため、残された航空戦力を集中して沖縄の米軍飛行場を攻撃することを計画した。5月下旬に開始される予定の菊水七号作戦で、ついに義烈空挺隊による沖縄本島の飛行場への空挺特攻作戦すなわち義号作戦を決行することになった。

 大本営陸軍部は、義烈空挺隊の輸送機として九七式重爆撃機12機、飛行場夜間爆撃機として四式重爆撃機12機、九九式双発軽爆撃機10機の投入を命じた。他方、沖縄を失って何の本土決戦かと息巻く海軍の第五航空艦隊司令長官であった宇垣纏中将は、義号作戦を援護するために、一式陸上攻撃機17機、銀河13機、それに護衛として夜間戦闘機12機を投入することを決定した。海軍は沖縄戦にかけていたのである。