薬物やアルコールなど、何かに依存して生きてきた人の回復と社会的な自立を支援する施設である「ダルク」。いったいどんな環境で育ってきた人たちが辿り着く場なのか。「ダルク女性ハウス(以下、ハウス)」にやってきた凛ちゃん(仮名)が歩んできた壮絶な半生を、『増補新版 生きのびるための犯罪(みち)』(上岡陽江、新曜社)より一部を抜粋・編集してお送りする。※内容は2012年時のもの。
小学生の頃から
母親の暴力被害
小学校の1年のとき、私は、お母さんといっしょに、逃げたんだ。父親の、お母さんへの暴力がひどくなって、どうしようもなくなったから。
なにがそのきっかけになるのかは、私にはぜんぜんわからなかったし、よくおぼえてもいない。けど、180センチあって、ボクシングやってた父親が、お母さんをボコボコにするんだよ。で、150センチそこそこのお母さんは、必死にそんなお父さんにはむかっていくんだよね。でもムリでしょ。ガラスの破片は飛び散るし、お母さん、血だらけで大けが。それで夜中に父親が運転して、お母さんを救急病院に運ぶの。それでやっとけんかが終わる、っていう。私はいつもどうすることもできなくて、ぼんやりそんな風景を見てた。家の中はいつもきれいだったのに、ケンカのあとは、いつもぐちゃぐちゃだった。
それで、ある日お母さんと父親のところから逃げて、2人で生活をはじめたんだけど、いま考えると、お母さんはそれから毎日、パニックだったんだと思う。お母さんの暴力は、私に向かうようになったから。はげしく怒り出したり、「出ていく」「死んだほうがいい」とわめいたり。理由はわかんないの。こどもの私は、そんなお母さんをどうすることもできなくて、いったい私がどうしたらいいのかなんて、もうぜんぜん、見当もつかなくて。究極に困らされてる感じ、っていうのかな、傷つけられる、っていう感じなのかもしれないな⋯⋯。
毎日、お母さんのそれがいつくるか、いつくるかって思ってて、いつも緊張してたよ。ごはん食べてる最中、食器がわずかにぐらりとした瞬間、平手が飛んでくる。つぎに、「ちゃんとしなさい、こぼすんじゃないの!」ってどなり声が飛んでくる。
座ってるときにとつぜん殴られると、なぜか私、なんにもなかったかのように、姿勢をすぐにもとにもどすんだ。おきあがりこぼしみたいにね(笑)。なんでだったんだろう?反抗かな?そんなんで動じないよ、みたいなね。でもそれがまた、お母さんの気にさわるんだと思うけど。