貸金庫に保管されていた
まさかの“宝”に号泣
貸金庫を開扉する時がやってきた。貸金庫の鍵は見つからなかったと言うので、スペアキーの入った封筒を手渡す。
「封筒の封緘をお確かめ下さい。よろしければハサミをお貸ししますので、封筒をお開け下さい」
ハサミを手渡しても使わず、面倒臭そうに封筒を破る。男性と貸金庫室に入る。
「703番の金庫は…こちらになります。鍵穴にスペアキーを使って中から引き出しを取り出して下さい。こちらに机がございますので、ご自身で中身をご確認願います。私は一旦部屋を出て、お持ち帰りの準備が整う頃に再びお伺いします」
10分ほどたち、貸金庫室に入ると目を疑った。男性が声をあげて泣いていたのだ。私は背後から声をかけようとしたが、ためらった。
机の上には、貸金庫から取り出した内容物があちこちに広がっていた。彼の背中越しに見えたのは、朱色の足形が押された色紙、色褪せた家族の写真、学校の通信簿や作文だった。様子から察すると、父親は息子の大切な記録を貸金庫に保管していたのだろう。
私は、音を立てないように貸金庫室を退出した。しばらくたつと、目を真っ赤にした男性が、こちらで用意した紙の手提げ袋を抱えて出てきた。その表情は、憑き物が取れたように穏やかだった。
「これで手続きは終わりです。色々とご面倒をおかけし、申し訳ありませんでした」
私が詫びると、
「いいえ、お世話になりました。貸金庫、ありがとうございました」
あれほど悪態をついていた彼から礼を言われるなど、予想もしていなかった。怯えていたロビー担当も目を疑わんばかりに二度見、三度見していた。
目黒冬弥 著
父親が貸金庫に入れていたものは、現金でもなく株券でも不動産の権利証でもない。おそらくは、ご自身が最も大切にしていたかったものかも知れない。亡くなった後にはなったが、こんな形で最愛の家族に手渡せたことを、天国で喜んでくれているだろうか。
銀行の貸金庫には現金や貴金属だけが保管されているわけではない。金品を盗もうとする者にとっては価値のないものだろうが、この家族にとって当店の貸金庫は、大切なものを確かに守ってくれていたようだ。
この銀行に勤め、四半世紀もの時間が流れた。いつも悲喜こもごもがあった。私は年末の今日もこの銀行に感謝しながら、日々の業務を遂行している。
(現役行員 目黒冬弥)