予定調和から想定外の時代に
「タケちゃんマン」で感じた変化

 ビートたけし、明石家さんま、島田紳助といったスターたちがこぞって出演したお笑い番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ/1982〜89年)。この番組のメインコントであった『タケちゃんマン』の台本を担当した清水氏は、時代の変化を如実に感じたと話す。

ビートたけし、ドリフのコント職人が「時代の終わり」を直感した2組の天才芸人とは?清水東(しみず・ひがし) 脚本家、放送作家。1958年1月5日、東京都生まれ。21歳で萩本欽一の「OH!階段家族!!」のコント作家としてデビュー。以後、ザ・ドリフターズ、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンなどのコント番組を中心に活動。同時にドラマ、アニメ作品も多く、映画ドラえもんなども担当している。(本人提供写真)

「僕が担当した『タケちゃんマン』は、一応ストーリー性はあるのですが、途中にゲームが入ったり、想定外のハプニングが求められる内容でした。この内容が、若い世代を中心にウケているので、どんどん時代が変わってきているんだなと感じましたね」

 時を同じくして、清水氏は若い世代から人気を集める2組のお笑いコンビと出会い、コント番組はもちろん、コント作家の終焉を感じるようになったという。

「1組はショートコントでブームを作ったウッチャンナンチャン。もう1組が、関西からやってきたダウンダウンです。彼らと一緒に仕事をする中で、時代の流れもあって、どんどんコント作家や純粋なコント番組に需要がなくなっていく光景を目の当たりにしました」

 80年代後半から90年代前半にかけ、こうした若い才能と仕事を共にしながら、その後、コントの終焉を目の当たりにする清水氏。どのような時代の変化により、コント番組は消滅していったのか。後編で紹介していく。