そんな50代の頃の私にイメージを重ねるわけではありませんが、この頃は皆さん、「おいしい」と言い過ぎのような気がします。「おいしい」という言葉の氾濫、「おいしい」の大安売りです。

 特にテレビの映像などを見ていると、料理を口に入れたとたん「おいしい!」とか「うまーい!」とか叫んだり「鳥肌が立つ!」などと言って目をむいているタレントさんがいっぱいいます。普通、おいしいものを食べたら、そんな顔せんやろ。

 あるいは、食べ物を口に入れたら、やおら目をつむって「うーむ」と感じ入る俳優さんや「こんなおいしいもの、はじめていただきました!」とかコメントしている女優さんもいます。はじめてって、これまでどれだけのものを食べてきたんですか、とついつい突っ込みを入れたくなったりします。

 なかには一口食べただけで「やばい!」とか大声を出す人もいて、そんなこと言われたら「え、何か異物でも?」と問い返してみたくなるようなこともあります。笑いごとじゃありません。

 皆さん「お仕事」でしょうから、いちいち反応してもしょうがありませんけれど、やっぱり一般の人もそういう情報に影響されますから、ちょっと見かけが良いだけでそれほどでもない料理にも「おいしい!」を連発するような現況が気になっています。

 ちょっと「おいしい」言い過ぎちゃうか、「情報」を食べるより「料理」をきちんと味わって、という話です。

「もうちょっと薄めにせえ」
親父が伝えた「残心」の料理

「おいしい」の大安売り。これは豊かさの表現なのか、我々が「味ばか」になってしまったのか、よくわからないことになっているという感じがしていますが、多分、我々が「味ばか」になっているのでしょう。

「おいしい」というのは、「味が美しい」「美味しい」と書きますが、実はそこに「おいしさ」を考える時の、あるいは「味ばか」にならないための大きなヒントがあるのではないか。そう思いが至った時に、親父の言葉がふと浮かんでくるのです。

 親父は「お前の料理は、うま過ぎる。だから、ダメや」と言い、そうではなくて、「残心のある料理を作れ」とよく言っていました。