こころが悲鳴をあげたら
「must」を手放そう
「want」と「must」はどちらも自分であり、必要なものです。「want」が優位のときはやりたいことをやっている感覚、納得感があり、気持ちと行動がおおむね一致していると言えます。
一方で、「must」の発動により、「自分の意見は異なるが、相手のことを立てておこう」「ここは踏んばりどころだ。遊びたいけれど、もうひとがんばりしよう」と自制をきかせるのが有効な場合もあります。
大切なのは、ふたつのバランスです。「must」が強すぎて「want」の自分が疲れきっているのに、さらに厳しく接してもつらくなります。どんなときも「なまけてはいけない」「こんな自分で満足してはいけない」と、「must」に従って生きると、古田さん(編集部注/筆者の患者で、がんの治療のために今まで通りに家事ができなくなったことで悩み苦しむ40代女性)のように危機に陥ってしまいます。
バランスは大切ですが、年齢によっても心地よく感じる比重は変わります。
「must」は努力の原動力にもなるため、活力にあふれる若い時期には、強い「must」に駆り立てられてもやっていけることが多いのです。
けれど、努力しても報われない感覚が続けば燃え尽きてしまい、強い自己否定につながることもあります。
才能や魅力にあふれ、華々しく活躍して見える人が自殺すると、「なんであの人が死を選ぶのか」と周囲は驚きます。おそらくその人は強い「must」に苦しんでいたのだろうと私は想像します。
強い「must」に縛られてきた人が、それに従うエネルギーが失われたとき、人生の転換期を迎えます。人生の後半になって心身の衰えを感じはじめると、こころは悲鳴をあげます。
これがいわゆる「ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)」であり、その後の人生を豊かなものにするには、強い「must」を手放す必要があります。古田さんのように病気と向き合うことによって、「must」を緩める変化が必要となる場合もあります。
自己肯定感の低さは
親の責任なのか?
「自己肯定感」という言葉がありますが、自己肯定感にも「want」と「must」が関連します。みなさんは自己肯定感が高い人にどういうイメージをもつでしょうか。