子どもに手を上げる大人写真はイメージです Photo:PIXTA

自分を厳しく律し努力し続けてきた人が、中年期を迎えて急に頑張れなくなる症状は「ミドルエイジ・クライシス」と呼ばれている。その背景には、子供時代の親との関係性に原因があるという。自分を縛ってきた親の価値観から解放され、自己肯定感を取り戻す思考法を精神科医が解説する。本稿は、清水 研『不安を味方にして生きる:「折れないこころ」のつくり方』(NHK出版)の一部を抜粋・編集したものです。

こころのなかでせめぎ合う
「want」と「must」

 ふだんは意識しないことが多いですが、こころのなかには、「want(~したい)」と「must(~しなくてはならない)」の相反する自分が存在します。

 幼い頃は、泣きたい、甘えたいといった「want」しかありません。まわりの状況はおかまいなしに、おなかがすけば「ごはんが食べたい」と訴え、いやなことは拒否し、好奇心のおもむくまま一生懸命に遊びます。「want」のときは感情や感性が優位で、自分にとって損か得かといった合理的な判断にはなりません。

 その後成長する過程で、理性が優位で論理的な「もうひとりの自分」ができていきます。外に出て走りまわりたい「want」の自分にブレーキをかけ、「授業中は席についていなければならない」と言い聞かせる。それが「must」の自分です。

「must」が強くなるほど規範的な考えも強まり、「弱音を吐かずに我慢しなくてはならない」「もっと努力しなくてはならない」「立派な人間にならないといけない」というふうに、どんどん「want」の自分を抑え込んでしまいます。

「must」の自分は、親(養育者)のしつけ、学校教育、他者とのかかわり、所属する組織の規範意識などの影響を受けながら形づくられていきます。とくに、親(養育者)のしつけの影響は大きなものです。

 幼い頃のこころは真っ白なキャンバスのようで、そこに最初に描かれるものはその人が他人や社会を見る価値観の原型となるのです。

 たとえば、子供が友達とけんかをして、泣きながら家に帰ってきたとします。そのとき子供のこころには、悲しい、悔しい、怖かったなどいろいろな気持ちが渦巻いているでしょう。

 それに対して、親が「悲しくて悔しいんだね」と気持ちを認めてくれると、「want」の自分は肯定され、悲しいときは悲しんでいいというメッセージになります。

 反対に、「けんかをして泣くなんて弱虫がすることだ。もっと強くなれ」と言われたら、泣きたい気持ちを抑え込み、悲しくても我慢しなくてはならないという「must」の自分がつくられるのです。